Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

エモいこと2(世阿弥とか、花とか、芸とか)

花はエモい

 

NOVA「さて、前回に続いて、エモいことの話だ」

晶華「まだ続けるの?」

NOVA「何だ、不服そうだな」

晶華「最近のNOVAちゃんは理屈っぽくて、面倒くさいキャラになってるもん」

NOVA「俺の基本モードは理屈っぽくて、面倒くさいキャラだぞ」

シロ「まあ、魔法使いというのは、そういうものですね」

NOVA「ちなみに、面倒という言葉の意味は、『手間が掛かって、解決が困難で、わずらわしいこと』だ。反意語は『簡単』「容易』『造作ない』と言ったところか。つまり、俺が面倒くさくないキャラを目指すなら、『簡単に対処できる雑魚キャラ』『あっさり風味のイージーな奴』を目指せ、ということになる」

晶華「それはそれで、つまらないわね」

NOVA「だろう? だけど、俺の面倒くささには実入りがある。単に不毛な面倒じゃなくて、面倒を越えた先に花が咲く。そういうキャラを目指しているつもりだ。ということで、今日は面倒だけど、教養ある読書の話をしようではないか」

晶華「ああ。NOVAちゃんの教育方面の師匠の一人である斎藤孝先生の著書ね。前に『質問力』って本を紹介していた

シロ「質問力! それは言霊魔術の奥義書の類ですか?」

NOVA「奥義とまではいかないが、『質問の力で人間性は評価される。いい質問をすれば、コミュニケーションは弾むし、その逆につまらない質問をすれば相手に見下され、時には怒らせることにもなる。そして、どんな質問が良いもので、どんな質問がダメなのかを、理論と実例を挙げて説明した書物』ということになる」

リトル「そんな大切な本なら、リウたちも読んだ方がいいですねぇ」

NOVA「ああ、読め。人に質問を繰り返すなら、自らも質問力を鍛えるのが礼儀だぞ。そうすれば、少なくとも『場に合わない質問』『自分の興味本意だけで、何も生み出さない質問』『相手との関係を崩壊させる質問』をする愚かさは避けられる。何でも聞けばいいってものじゃないんだ。少なくとも、コミュニケーションを良好に保つなり、深化させる質問もあれば、コミュニケーションを崩壊させる質問もあることぐらいは、弁えるべきだと思うぞ」

 

晶華「質問の話は、もう過ぎたことなので、どうでもいいわ。それよりも、新しい本よ。世阿弥って誰?」

NOVA「室町時代に、能を大成させた人物で、『風姿花伝』(花伝書)という芸能・演劇理論を書き遺した偉人。翔花伝という別ブログのタイトルの由来の一つであり、花伝書の英名はFlowering Spirit、つまり花の精神、花の魂という意味合いを持つ」

晶華「あるいは、花の精霊ね。花粉症ガールそのものじゃない」

NOVA「世阿弥の精神は、演劇論だけでなく、創作論、ひいては人生論にも置き換えることができる。素晴らしい演劇、そして人生という名の演劇における輝きを『花』と表現したわけだ。そして、『花』を表現するための秘訣、奥義が、斎藤孝先生の解釈で分かりやすく語られた本が『座右の世阿弥』ということになる」

シロ「たとえば、どのようなことが書かれてあるのですか?」

NOVA「『時によりて用足るものをば善きものとし、用足らぬものを悪しきものとす』とあるな」

リトル「どういう意味ですかぁ?」

NOVA「斎藤孝先生の解釈では、『大事なのは、「今」「ここ」で求められていることに応えること』となってるな。要するに、相手や客のニーズに応えている芸こそが良いもので、どれだけ自分が素晴らしいものと思って提示してもニーズに応えられていないものは悪いもの、そういう独り善がりな芸じゃダメだよってことだ。どれほど腕を磨いても、その場の空気を読みとる意識に鈍感では、受け入れられないということでもある」

晶華「今風に言うなら、TPOを弁えよって考え方にもなるわね」

NOVA「料理で言うなら、暑いときにアイスが出たら嬉しいし、寒いときに鍋物が出ると美味しくいただける。ガマン大会をしたいのでなければ、逆がウケるわけがない。作品にエモさを感じるのは、自分が期待するような展開であることがまず必要。その上で、多少のサプライズや新鮮さを付け加えればよし。飽きられたらダメなので奇をてらうのも大切だが、そもそも、その奇が相手の求めているものに逆行するとか、そぐわないのであれば、話にならないわけだ」

シロ「時流を読みとり、それに合わせたものを提供できるのが名人で、どんなに一生懸命でも時流に合わなければダメ」

NOVA「だから、時流に合わせた芸を披露できるよう、自分の技のレパートリーを増やすのが修行ってことだろう」

リトル「バカの一つ覚えでは、すぐに行きづまるですぅ」

 

 散り行く花も、またエモし

 

NOVA「さて、いつまでも咲いている花に魅力はあるだろうか?」

晶華「ディードリットさんみたいなエルフは魅力的よね」

NOVA「まあ、それは否定しないが、仮にロードスがどれだけ素晴らしい作品であったとしても、ずっと続くと飽きると思うんだ」

晶華「それって爆弾発言よね。NOVAちゃんのロードス愛はその程度のものなの?」

NOVA「まあ、俺は割と固執しがちな性格だから、ずっと続いてくれると嬉しいんだけど、世間一般ではマンネリは受け入れられないんじゃないか。『ロードスが復活した。懐かしい』と感じるオールドファンと、『これが噂に名高いロードスか。興味深い』と受け止める新規のファンと、こういう客層の両方あってこそ、今のロードスは発展するのだと思うぞ。世阿弥曰く、『花と、面白きと、珍しき、これ三つは同じ心なり』だそうだ」

晶華「どういうこと?」

NOVA「花が美しいのは、それが散るものであって、儚いものだからだ。春の季節にしか、桜は咲かないと知るからこそ、人はそこに風流を感じ愛でるわけで、この散り行くものに愛惜の念を感じるのが日本人の心。逆に永遠を求める心が西洋人の心かもしれない。

「だからこそ、日本のヒーローは毎年、最終回を迎えて次の世代に後を託し、アメコミヒーローは年を重ねて続いて行く。まあ、向こうのヒーロー美学に、自己犠牲で散る精神で英雄物語は完結する(そして時には神格化される)というのもあるらしいんだが、定例行事で終わるわけじゃなく、大きなドラマの流れで散っていくわけだ」

晶華「つまり、時が来れば、散るのが美しいってこと?」

NOVA「だからこそ、今を大事に面白く生き味わおうとする。そして、今しかない珍しいものとして、しっかり堪能する。こういう想いに応える作品こそが花じゃないかってことだよ。コロナで作品が延びたときに、つくづくそう思った」

シロ「それは、もしかすると日本の仏教の無常感に通じる考え方ですか?」

NOVA「確かにな。死をどのように受け入れるかは、宗教の領域だ。日本では潔く散り行くものに敬意を示し、西洋キリスト教文化では人類のために自ら犠牲になる殉職者を英雄として尊ぶ。もちろん、どちらも花として咲き誇った後でな。芸能もそれと同じで、マンネリを避け、新奇さへと脱皮し、そして鮮烈に幕を閉じる構成を基本とする」

リトル「だけど、散って行くのは哀しいですぅ』

NOVA「その哀しさをも、じんわりと受け止めて行くのが芸術ってもんだ。ただし、哀しき最期で終わるのではなく、後に遺すものや受け継がれた想いなどを示し、また物語は続くというのも、一つの形だな。要は、自分の人生や作品をどう輝かせ、華やかに彩り、そして颯爽と散っていき、後に美しい想いを繋げていくかってことだと思う」

シロ「すると、後に遺された者は、先達の咲かせた花をどう継承し、次の季節にまた咲かせるかが使命となるわけですね」

NOVA「そういうことだ。作品に込められた想いの継承、それこそが創作家にとっての本望だと考えるぜ」

 

先達の知恵の継承

 

NOVA「……とまあ、たまには真面目に語ってみたわけだ。少なくとも、創作や芸能、人生に興味を持つ人間だったら、一つの参考になる指南書だと思う。仏教的には、『迷いや恐れが生じるのは仏の智恵への悟りがないから』ということで、仏や菩薩の仕事は衆生の無明を断つことということになっている。まあ、俺は所詮、凡夫だから、仏智なんてレベルには達していないので、人が良いと言うものを受け止める声聞、自分が好きな作品にエモさを感じることが縁覚ぐらいに考えているわけだが、その中に自分に合った生き方のヒントが見つかればいいなあ、と。それを他者に広めるのも、広義で菩薩の境涯に通じるわけだよ」

晶華「エモさを感じるのが縁覚ってのは、NOVAちゃんの独自解釈ね」

NOVA「まあな。なお、面白い作品を見て面白いと感じて喜ぶのは、天界な。声聞・縁覚になると、そこから分析・研鑽が始まり、真理を求めるようになるレベルだ。ただ、何かを批評する際に、それが自分がマウントを取るための手段としか考えられないのは、修羅の命になるのかな。批評という行為も、作品を楽しみ、より深く味わうためにあるものであって、批評の目的は価値判断の指針を示すこと。役に立たない批評行為とは、良いものや楽しいものを示し得ていないただの悪口レベルって考えだな」

シロ「つまり、『これではダメだ』というのは悪口で、その先の『だから、こうすれば良くなるのではないか』という提案にまで至って、批評行為は完結するわけですね」

NOVA「そう。感情的なダメ出しはバカでもできるんだよ。そこに理屈をさし挟んでも、『では、どうしたらいい?』という問いに答えを出していないのでは、無用のゴミだ。まあ、その答えを自分で考えろ、ヒントは与えたというつもりなら、教導手段として中途半端な批評にも意味はあるのかもしれないが、この場合も結局、『自分が答えを持っているのか』ということが問題となる」

リトル「自分が答えを持っていないのに、人のやり方や作品にケチをつける、というのはダメですねぇ」

NOVA「自分も答えを持っていないから、一緒に考えようではないか、と自分の無知を認めて対話を促すレベルならソクラテスだけどな。でまあ、世の中、いろいろな思想や信条があって然るべきだとは考えるんだけど、たまたま若いときに何かの宗教や思想に出会って、そこにハマりこんでしまい、それしか見えない状態に陥ってしまうと、人生不幸だな、とは感じる。そういう教条主義だと、自分も広がらないし、勉強しているつもりでも幅がない、周りの目から見てつまらない奴になってしまう」

シロ「一意専心ではダメなのですか?」

NOVA「一点を見据えて、それを自分の得意分野に定めるのはいいことなんだよ。だけど、世の中にそれしかないと思い込み、他が見えていないのが問題。だから、武道家は他流試合を通じて、世間の広さを知ろうとするし、料理職人だって和食だけでなく、中華や洋食にも関心を持って、その要素を取り入れた新しい和食を考案することだってあるわけだ。もちろん、伝統を頑なに守るのも一つの道だが、『自分は寿司職人だから、中華料理も西洋料理も食べたことがない。そんな物を好む連中は邪道だと考えています』などとは言わないだろう?」

リトル「『ゴジラは怪獣王だから、それ以外の怪獣のことは知らなくてもいい。ゴジラ映画以外は邪道だ』みたいに考えていてはダメなんですねぇ」

NOVA「とりあえず、ゴジラ映画を中心に見て、それからガメラとか、モスラとか、ドゴラなどに興味を持って、ジャンル知識を広げていくのならいいんだけどな。で、怪獣映画以外の映像作品も機会があれば見て、幅広い映画通を目指すもよし、いろいろ見たけど、自分に合うのはやっぱり特撮ヒーローものかな、でも変身しなくてもアクション映画は全般に気に入ってるとか、ラブロマンスは合わないけど、アクションの合間に挿入されるぐらいなら許容範囲とか、いろいろな物に接して、自分の知見を広げるのが大事。そうして、辿ってきた自分の映画遍歴を、他の人のそれと比べながら、自分の知らない世界で面白い話のできる人から学ぶとか、他人の経験知を参考にしつつ、自分の核に肉付けしていくのが若い頃かな」

晶華「若いときに、変に固まらずに、いろいろ経験しろってことね」

NOVA「まあ、一人の人間に経験できることって、知れているんだけどな。だからこそ、世の中、自分の知らないことはいっぱいあって、それを経験している凄い人もいっぱいいて、そういう人たちの話や作品からもエモいものをいっぱい受けとって、自分の内面を豊かにして、自分の人生もエモいものにしたい。もちろん、他の人が自分の人生や作品にエモさを感じてくれれば嬉しいんだろうけど、それよりも先に自分自身がエモさを味わいたい。だから、互いにエモさを伝え合える関係がベストマッチだろうし、それが一方通行だと『お前の話は、聞いていてつまらん』となるわけだ」

晶華「NOVAちゃんにとって、つまらない人間って?」

NOVA「成長の止まった人間。許容範囲の狭い人間。いろいろなものをバカにして、ろくに受け止めようとしない人間。そこには、何の憧れも尊敬も生じ得ないと思うし、ある一定の年齢を重ねて円熟したら、それまで培ってきた知識や知恵をいろいろとつなげ合わせて、その人なりの人生観や世界観を提示できる人間に敬意を示すわけだよ」

晶華「NOVAちゃんも今、そうなっているよね」

NOVA「そうしたいと思っているからな。まあ、まだまだ成長が止まったとは思いたくないし、自分と同じように現在進行形で成長している人の作品や見解を追いかけながら、自分の生きる原動力に変えて行ければな、と思っている。その意味で、成長しない人間、学ばない人間には魅力を感じないし、自分の果たせる範囲で少しでも学んで行こうとする人間には敬意を示したりもする。

「ただ『自分にはこれしかない』などと変に限定してしまう人間はダメだな。そういう人間は『これしかないという物に強くこだわって、深く掘り下げる道を選ぶ』ならまだしも(その道をとことん極めた人間が言うセリフだったら相応の重みがあるけど)、大抵はその道すらろくに歩いていない人間が視野の狭い自己憐憫のために口にしているだけ。そんなことを口に出した時点で、自分の価値を下げているとさえ思う」

晶華「私にはNOVAちゃんしかいないって言えば?」

NOVA「もっと他に目を向けろ。一つにこだわるな。一途な想いは嬉しい反面、多様性を好む俺みたいな男には、相手の視野の狭さが我慢ならん」

晶華「男女の恋愛関係だったら?」

NOVA「それは、まあ、経験豊富とか移り気な相手ということにネガティブなイメージはあるけどな。色事と芸事は通じる面もあるのは否めないが、総じて自分自身にストレートに向けられる感情に対しては、持て余すと思う。俺自身じゃなくて、俺の好きなものを共に味わえる関係性の方が魅力を感じるわけだな。『あなただけを見つめてる』なんて言われると、『悪いな。俺は君だけを見つめていたいわけじゃない』とストレートに返しそうだ」

晶華「無粋ね。NOVAちゃんに恋愛ものが書けない理由がよく分かった」

NOVA「そうだな。俺を落とすセリフがあるとしたら、『あなたと一緒に、好きなロードスの話を一晩語りたいの』って感じかな」

晶華「あなたと一緒に、好きなロードスの話を一晩語りたいの」

NOVA「一晩じゃ済まないぜ。ロードスの話から、ソード・ワールドクリスタニアとどんどん広がっていくが、それでも君は付き合うかい?」

晶華「ええ。あなたの話は面白いから。そこに痺れる憧れる……って感じの女性なら、うまく通じ合えるのかもね」

NOVA「趣味人ってそういうものだろう?」

晶華「もしも、相手の女性がNOVAちゃんよりもロードスマニアだったら? アシュラム様命とか、バグナード萌えとか言っちゃう娘だったら?」

NOVA「バグナード萌えと言うような女の子には興味あるな。ちょっと珍しいんじゃないか。個人的には、アシュラムにはなれないが、バグナードだったら魔術師としてなれそうな気もするし、ただの美形好みじゃないところにマニア的深みを感じる。そういう相手だったら、『バグナードについて、一晩語ってみたいな』と誘いたくなる俺がいるが、ただのその場だけのジョークとして流されそうだ」

晶華「……まさか、バグナードで釣れるとは思わなかったわ」

NOVA「バグナードが好きということは、魔術師か吸血鬼が好きということだからな。確実に話を噛み合せることができる自信がある。世阿弥の言うところの『物狂おしさ』『幽玄の美』に通じるところがあるかもしれん」

シロ「そこで世阿弥を出して来ますか」

NOVA「そろそろ、話を戻したいからな。何で、男女の恋愛からロードスに話が流れないといけないんだ? 今回は、芸能や人生の指南書の話のはずなんだ」

シロ「で、結論としては?」

NOVA「世阿弥すごいから、衛星ゼア凄いに繋げてオチをつけたいところだな」

リトル「はい、或人じゃないとぉ〜」

晶華「順番が前後したけど、今のは世阿弥(ゼアミ)とゼアを掛けた唐突なギャグです」

NOVA「ウルトラマンゼアスに掛けようかと思ったけど、時によりて用足らないからな。やっぱり、どんなネタも時流にかなうことが大事。そして、世阿弥のイニシャルZは、これまた旬なわけで、だからこそキラエモってことだ」


ウルトラマンZ : Chant My Name! / ご唱和くださいわれの名を short ver.

(当記事 完)