White NOVAのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガールというオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

ロードス新作の主人公についての雑感

先日のコメントについて

 

   今回は、いつものキャラ会話形式ではなく、昔ながらの独白(あるいは毒吐く)スタイルで書いてみる。

   この2回前の記事で、ある人物からコメントをいただいたのだが、その内容は(コメントレスで指摘したように)8月に翔花伝で書かれたコメントとほぼ同じである。念のため、該当記事はこちら

   ちなみに、翔花伝の管理人も自分White NOVAであり(形式上は、コンパーニュの塔の主、日野木アリナが仕切っているような会話形式の記事が多いけど)、このコメント主は、同じ人間の記事に対して(こちらはきちんと返信したにも関わらず)ほぼ同一内容のコメントをよこしてきたのである。

   最初、読んだときは「また、こいつか」とうんざりし(件の人物とは、旧知の仲の腐れ縁と認識しており、一応はかつての創作仲間でもあり、現在はちょっとしたストーカーでもあると見なしている。まあ、門矢士に対する海東大樹に相当するキャラと考えれば、仮面ライダーファンには、その関係性をイメージしやすいかも)、それでも稀に、ブログ記事の問題提起ネタを提供してくれることもあるので、チェックしてみた。

   一読して思ったのは、「前のコメントの手抜きコピペかな?」

   文章を比較すると、「コピペじゃないけど、前に自分が書いたことを忘れるくらいボケてるのかな?」

   好意的に解釈するなら、「前のコメントが下書きで、こちらが清書のつもりなのかな?」

   それとも、「翔花伝とこちらの管理人が同一人物だと認識できていないのか、まさかな?」とか、いろいろと合理的解釈(妄想)を試みた挙句、

   結論、「何だか相手するのが面倒くさい。誰か代わりに、このコメントに毒舌ツッコミ入れてください。そういうのが得意な晶華が、現在出張中で、ここにはいないのが残念だ」って現実逃避な感情が込み上げてきたりも。

 

   要するに、「コメントいただいて、ありがたく思っている」とか、「コメント主とのやりとりが楽しい」とか、「コメント内容を高く評価している」ということは一切なく、むしろ逆というか、「こんな、しょうもない内容のコメントを何度も繰り返すな。ロードス話をしたいなら、まずは作品とか、こっちのレスをきちんと読んで、内容をつかんで、まともな(建設的な)ファン談義ができる程度のストーリー理解を文章で示せ」と。

   まあ、コメント主が実際に作品を読んでいない証拠はないけれど、コメント内容が「ネット上に公開された書籍の宣伝文句を上っ面だけ読んだだけでも書ける程度」の代物だし、「小説の後書きだけ読んだ中学生の感想文」ぐらいの薄さなものだから。

   もちろん、8月時点で、「新作が手に入らず、読みたいけど読めない。だから、ネット上でチェックできる程度の情報だけで、作品愛を表明したかった」ってことなら、納得はできる。ただ、10月に入って、売り切れ状態も解消された状況なので、「作品について読みたい、語りたいと思っている長年のファンなら、当然、読んでから語るでしょう」と。

   もっとも、コメント主の場合、「作品鑑賞せずに批判する」「ネット上の悪口感想に乗せられ、鑑賞してもいない作品を悪し様に罵る」といった前科が既にあるし、今回のコメントでは、「ライルという主人公」について、作者の提示したキャラ造形について、いきなりダメ出しをしてしまう暴挙に及んでしまったわけで。

 

   いやね、読んだ上で、「このキャラは、こういう設定のはずなのに、こういう風に考えるのは矛盾していないか」(キャラ設定と心情が噛み合っていない)とか、「キャラ付けがいまいち地味だ」とか、「このキャラの描き方がどうこう」って語るなら、批評にしても分かるんだけど(その主張の是非はともかくとして)、

   「ライルはロードスの騎士を目指す、マーモ王国の王子である」という前提条件(宣伝サイトなんかでの、キャラ紹介を見れば分かる程度の情報)に対して、「ライルの主張が、誰でもロードスの騎士を名乗れるというものなら、別に主人公をマーモの王子に設定しなくても、無名の若者でいいのではないか?」という意見は、あまりにも短絡的で、少なくとも、作品を読んで、ライルというキャラの立場や心情、じっさいの行動をチェックしてみたら、出ない類の意見だと自分は考えるわけで。

 

   きちんと物語を読めば、ライルのキャラ造形は物語に噛み合っているのが分かるし、作者の水野さんがライルをそういう設定にした理由も、ある程度は推察できると思うんだけど、

   コメント主のライルの設定批判は、「誰でもロードスの騎士になれる=作品テーマ」だと勝手に勘違いして、「そういうテーマだったら、主人公は無名の人間であるべき」と言っているに過ぎない。

   もちろん、「誰でもロードスの騎士になれる」というのは、ライルの主張だけど(そして、ファンを喜ばせる殺し文句だと思うけど)、それはあくまで「ライルというキャラ造形がしっかりできているから、主張できること」であって、その結論に至るためのライルの背景事情とか葛藤とか、そういうのを一切斟酌せずに、結論部分だけ切り取って、「誰でもロードスの騎士になれるなら、別に主人公はマーモ王子である必要がない」と主張するのは、浅はかなことこの上ないし、新作ファンに期待する人間に水を差す類の暴言である、と自分は考える。

 

   そこで、自分は新作ロードスを愛し、期待する人間として、「誰でもロードスの騎士になれるとライルは主張したが、その旗頭に立てる主人公的存在は、ライルの立場を置いて他にない」ということを論証してみたい。

   少なくとも、作者としては、「次代のロードスの物語を描くための主人公として、ライルというキャラの背景設定や性格をきちんと構築したはず」なので、そこをいきなり否定してしまうのは、「お前、何様だよ?」と言わざるを得ないわけで。

  まあ、コメント主の主張が浅はかで、ツッコミどころが豊富で、ツッコミネタにすると(稀にだが)面白いのは今に始まったことじゃないけど、それ自体を目的にするのも不毛なので、

   自分としては、そのダメ発言をきっかけ(叩き台)に、ライルという主人公のキャラ造形や背景について、まじめに考察して、自分のロードス愛を確認したいと考えてみたり。

 

ライルは騎士か?

 

   実のところ、自分は最初、ライル=パーンみたいな騎士とは思っていなかった。

   この場合の騎士とは、TRPGにおける職業区分で、「重い甲冑を着て、パーティーの前衛として、みんなを守って戦う主人公戦士」の意味合いである。

   パーンやスパークは当然、騎士である。ゲームの公式データ面からもそうだし、小説での描写も、それに合わせている。

   パーンは父から受け継いだ騎士の鎧をまとっているし(後に古代遺跡から見つけた魔法の鎧にバージョンアップした)、スパークも基本装備がグレートソードで(補助武器がメイス)、防具もプレートメールで、歴代主人公はいずれも立派に騎士の出で立ちである。

   しかし、新作主人公のライルは、まだ成長途上で、重い鎧を身に付けられるほどの体力がなく、軽戦士あるいは盗賊的なイメージで描かれている。事実、カノン王救出のシーンで「王国の密偵になるつもりだったので、盗賊の技術は一通り学んでいる」という記述もあり、また簡単な古代語も理解する素養を見せて、これまでの主人公よりも器用な万能職のように見える。ただ、騎士の本分である戦闘技術はそれほどでもなく、正面から打ち合うよりも、奇襲攻撃で急所に一撃みたいなスタイルで戦っていたりする。

   これを読んで、最初に思ったのは、「こいつ、騎士じゃないな」と。一応、姉の姫騎士と、その旦那から武術の訓練は受けていて、将来は王国の騎士のスタイルを学習する予定でもあったわけだけど、その前にフレイムが戦を始めて、ライル君は「俊敏さを重んじる軽戦士スタイルで戦う騎士見習い」という、過去のロードス主人公とはまた違うキャラ性を帯びたわけである。

 

   領主の家系なのに盗賊、というスタイルは、ロビンフッドなんかも連想するが、それでもライルを騎士と見なすことができるのは、「ヒポグリフ・ライダー」という騎乗して活動する職種でもあるからだ。

   これまでのロードスでは、航空戦力といえば、モスの竜騎士というのが定番だったけど、ここで新たに「空翔ける騎士」の主人公像が誕生するわけで、戦士としては未熟だけど、将来性については大いに期待できる令和の時代の新主人公であると言える。

   将来、ゲーム化する際に、ライルの職業設定をどうするか、いろいろ想像が膨らむと思うけど、少なくとも、ライルというキャラが従来の騎士主人公とは異なる属性を持ちつつ、ライダー(騎乗戦士)という意味での騎士らしさを提示したのは、お見事と考えている。

   騎士じゃないけど、騎士だよね、という矛盾しているように見えて、うまく整合性が取れている(納得はできる)キャラ造形が、単純なステロタイプではないアイデアの妙だな、と考える次第。

 

   ここで、「主人公は無名の若者でいい」と主張した人物は、果たして、その無名の若者に、「どのような魅力的な主人公イメージ」を抱いているだろうか?

   自分ならこうするってアイデアがあるなら、是非聞いてみたいものである。

 

自由騎士パーンへの憧れ

 

   この想いが、主人公ライルの造形の核であり、新作ロードスが提示した物語テーマの一つだと考える。

   そして、ロードスの愛読者であるなら、初代主人公パーンの成長を追っかけ、一緒に英雄戦争を目撃し、その後、ロードス各地の王侯と触れ合い、さらに後継主人公スパークの視点から英雄パーンへの憧れを感じながら、「自由騎士パーンと、マーモ領主スパークの二人の騎士の生き様の違いと、共通する想いの交流」を見届けたのだと思う(それとは別に、六英雄やナシェルの物語、パーンを取り巻くディードリットを始めとする仲間たちやカシュー王などの各種群像劇に愛着を持っている人も多いだろうけど)。

 

   もちろん、元がゲーム作品であるため、「君もパーンたちみたいな冒険者になって、ロードスの世界を旅できる、ロードスの歴史に立ち合える」といった形の物語インタラティブ性は、当初から明言されてきた。

   これは、TRPGが物語の生成構築を主題にしたゲーム性を重視していて、その意味では、「無名のキャラ(=一読者の自己投射できる存在)が主人公である」という誘惑そのものは納得できる面もある。だったら、ファンの一人一人が自分たちのキャラを作って、自分たちの物語を作ればいい。そのための材料は与えられている。

 

   しかし、原作者の水野良氏自身は、無名の一作家ではない。ロードス世界の創り手である。

   キャラが作者の分身である以上、パーンというキャラは若い時代の作者が、自己投影できる存在として描くこともあっただろう。無名の新人作家が周囲に認められ、偉業を成し遂げて、憧れる存在にもなって、そして同様の志を持った若者が後を追っかけていく物語は、パーンだけでなく、作者の水野さん自身の物語を反映しているとも思える。

   まあ、作家というのは主人公に感情移入しつつ、客観視することも必要になる存在だから、水野さん自身もパーンに感情移入する面も持ちながら、スパーク視点で憧れている感情を客観視したり、作者視点でツッコミを入れたりしながらも、いろいろな英雄伝説を紡ぎ上げてきたわけだけど。

   また、ゲームプレイ的な観点では、パーンは元来、水野氏の持ちキャラでもなく、御自分がGMしたゲームの主人公戦士を素材に、小説で設定を再構築し、編集さんを含む複数の人たちの意見も受け入れながら練り上げた過程も、そこには込められている。

 

   で、この「憧れる気持ち」自体は、ファンとして自分も持ち続けた経緯があるし、   「自分の物語の主役になりたい」とか、

「主役の若者を導く師匠キャラになりたい」とか、

「今の自分の心を湧き立たせるヒーロー、英雄の物語を追いかけたい」とか、

「感想や批評、作品愛を交えたパロディー創作という行為を通じて、その作品のエッセンスを自分の中に吸収したい、思う存分堪能したい」とか、

   そこから広がって、そういう想いの一分なりとも誰かと共有したいとか、共感して欲しいとか、単に吐き出して後に残しておきたいとか、

   そんなことを何となく思いながら、ブログを書いたりもしているわけだけど。

   自分のことはさておき。

 

   同時に、無名じゃなくなった水野さんが、今さら無名の主人公を自分のものとして書けるのか(短編ならともかく、シリーズのフラッグシップになる新作長編で)、また、読者の多くは「何のしがらみもない、ポッと出の無名の新人冒険者がロードスの騎士を名乗って、永遠の乙女ディードリットを引き連れ、歴史あるロードスの物語を引っ張っていく」ことに納得できるのか、という気持ちはある。

   「誰でもロードスの騎士になれる」は、言わば「誰でもロードスの物語に参加できる」という意味合いで、それは正であり、是である。

   しかし、「誰でもロードスの騎士の旗頭(=原作者の書く正規の主人公)になれる」というのは、否、偽であり、非である。

   水野さん(=原作者であり、その描くライル)という旗印があって、そこに付いて行く中で、ロードスの新たな時代の物語に参加できる。もちろん、その新たな主人公を受け入れ、しっかり咀嚼することで、作者の描きたい新たな物語を堪能できると信じているわけだ、愛読者ってのは。

 

   ライルは、かつての英雄パーンに憧れ、その足跡をたどる旅に出る。

   それは作者の視点から見れば、かつての自分の作品をもう一度振り返り、そこに付随する思い出なんかも味わいながら、今の自分を再構築する作業にもなると思う。そんな作者が感情移入できるキャラとして、さすがに無名の新人が主人公というのは有り得ない。

   英雄の偉業の末裔に位置するキャラだからこそ、見える光景、書ける想いもあるだろう。

   長年の読者としては今さら、作者に未熟な新人時代に戻られても困るわけで、そういう主人公の物語は、未熟な無名の人間(コメント主含む)が自分の物語として描いたり、妄想したりすればいいのだ。

   ライルは、作者と同様、これまでのロードスの歴史のしがらみを持ったキャラである。だからこそ、作者のロードスへの想いを受け止め、読者に伝えられるキャラになるんじゃないかな、と自分は期待する。

 

   そして、ライルがパーンに憧れるように、自分はかつての原作者に今なお憧れている。

   またライルが未熟な若者から、憧れの対象に成熟していくか、それとも昔の方が良かったとがっかりさせられるかは、まあ前者を期待しつつ、作者の昔の後追い作業から新しい何かが生まれる可能性を信じて追っかけるつもり。

   そこに水を差す輩には、共感できないわけで。

 

無名のキャラではダメなこと

 

   まず、決定的に問題なのは、ロードス各地を旅する機動力の欠如。

   フレイムの侵攻という背景がある中で、ライルはのんびり徒歩でロードス各地を旅している余裕はない。

   つまり、ライルのロードス旅物語を、フレイムとの戦争という背景と同時並行で描くためには、ヒポグリフに騎乗しての空の旅、というチートな移動手段が必須となるのだ。

   もちろん、ヒポグリフが登場する背景は、「マーモの魔獣園」あってこそである。これはマーモ王子という出自なくして、納得できる理由づけが考えにくいと思う。

   無名の冒険者が、フレイム侵攻という火急の事態に際して、ロードス各地を転々と巡っていく移動手段を(ロードスのこれまでの物語と矛盾しない形で)獲得できるなら、主張の根拠にしてもいいだろうが。

 

   ないわけじゃない。

   一例、かつてカーラが利用していた(かもしれない)転送用の魔法陣とか。

   そういうアイデアを一つ一つ考えて、検証することには意義があると思う。

 

   次に、「100年前の英雄であるパーンへのこだわり」を持つ理由。

   無名の冒険者が、どうして、そこまでパーンに憧れ、追っかけ続けるのか。そこに納得のいく理由を構築して、描かなければ、今作は成立しない。

   この辺の愛着やこだわりの描写が、コメント主は致命的に下手である(かつての創作作品を読んだ上での判断)。何かに愛着を持ち、そこに深い執着を抱いて行動原理にするキャラの想い。それを作品批評にしても、自分の作品にしても、示すことができないので、「このキャラ(あるいはこの作者)は何で、この事物にそこまでの想いを寄せるんだろう」ってのが、見えて来ない。

   これは、まあ、ブログで作品の感想文を書く際にも、「ここが凄かった」の一言で終わってしまうと、凄さが伝わらないのと同じで、「その凄さを、いかに読者に伝えるか」が表現のポイントだと考える。

   そういう心情描写が小説には必要なんだけど、そこを一顧だにしない人物だから、「パーンへの憧れがあれば、誰でもロードスの騎士になれるのなら、主人公はマーモの王子でなくてもいい」なんて言ってのけるのかな。

   小説本編では、マーモの王子がいかにパーンという英雄に心酔しているか、その理由づけも含めて、濃厚に描かれているわけで。

 

   要所要所を述べるなら、「パーンはスパーク不在の間、一時的にマーモの領主を務めたこともあって、王宮の肖像画にもディードリットと並んで描かれている」とか、「それなのに、パーンはスパークの名誉を維持するために、マーモ王を務めていたことが歴史の表から抹消されていて、ライルはそういう物事の隠された裏面、秘められた真実にこだわる性格、才覚がある」とか、

「ライルは現実の立ち位置よりも、夢想家めいた理想主義な性格ながら、若者らしいアクティブな思い込みの強さがあって、そこはパーンに通じる資質」とか、

   普通に読めば、ライルのパーン後継者としての資質が、背景事情も含めて、しっかり描かれているのが分かるはず。

   ライルという新主人公が好きか嫌いかという感情面はさておき、これだけ作者がこだわりを持って描いたライルの構築を無視して、「無名のキャラを主人公にした方がいい」と主張するのは、本当に作品を読んだのか?   と疑わざるを得ないわけで。

 

   マーモ王家は、お国柄、自由を尊ぶ風潮もあって、そこの王子も邪神マニアな長男、エルフ萌えな次男(現国王)、質実剛健ながら策士でもある英雄的な三男、そして理想主義でフットワークが軽いパーンマニアな主人公末子など、多士済々な個性がいいなあ、とも。

   そして、それぞれの愛着ぶりとか、主義主張とか、内心の想いとか、単なる作品紹介文だけでは分からない密度があるわけで、うわあ、作者の人はこだわっているなあ、ということが分かる。

   これを読んで、「無名の冒険者」云々って抜かすようなら、それは返り咲いた現役ロードスファンとしても、話が通じないに等しい、とさえ思う次第。

 

   ただし、無名のキャラで、パーンにこだわりを持ったキャラは、今後、アラニア編とか、ロードス各地で登場するかもしれない。

   カノン編でも、ライルのパーンに対する想いがあり、「単なる羨望、憧れから、自分がパーンの来た道を追いかける後継者宣言に至る流れ」があってこそ、その熱意に付いてくるカノン国民がいたわけだし(ゲーマー感覚だと、「俺がGMするから、お前たちもプレイヤーとして付き合ってくれ」とか熱意を込めて、メンバー集めてセッション運営するようなものか)。

   そこには、ライルと同じ熱量で、パーンに憧れる同士がいて、同好会活動、ファンの集いみたいなノリで、「新生自由騎士団」が立ち上がって、アイドルのディードリットを広報塔にしながら、マーモ王子のライル団長を中心に活動を開始する可能性が十分に考えられる(笑)。

   よって、自分はパーンに憧れる無名キャラそのものを否定するものでもないけど、それは主人公ではなく、主人公を支援する立ち位置だからこそ光るものだと考える。もちろん、そういうキャラの中に推しを見出だす新作ロードスファンも、将来は出てくるだろう。

 

   結論として、ライルは新生ロードスの旗印として、作者がきちんとこだわりを持って生み出した主人公なんだから、現時点でいきなりそこを否定するのでは、ロードスファンとしては老害なのかポンコツなのかスットコドッコイなのか、まあ決して褒められたものじゃない。あえて言わなくても、カスである、と(銀河万丈声)。

   まあ、ちと言い過ぎた。失礼。

 

   ただ、ライル以外に好きなキャラがいるとか、ライルの周りに推しキャラがいて、出番が少ないから、自分で主人公に祭り上げて二次創作を書きましたとか、そういうレベルで話をするなら、ああ、ロードスを楽しんでいるなあ、と思うし、

   始まった時点で、いきなりダメ出しするような批評は、「お前の意見は求めていない。王の名において、断罪する。消えろ」と言いたくもなるわけで。

 

   まあ、物語が進んだ上で後々、ライルのキャラが成長しないとか、ストーリーに寄与しないとか、自分の好きなキャラ像とは違うので性に合わないとか、いろいろと意見が出るのはありだろうし、その上で、自分なりに楽しめるところを見つけるのが、ファンの嗜みなんだと考える。

 

   オールドファンとしての話はこんなところだけど、まともなコメントが返ってくることを、わずかなりとも期待する。

ロードス島戦記 誓約の宝冠1 (角川スニーカー文庫)

 

(10月10日追記)

   なお、主人公ライルを「スパークの子孫、マーモの王子」と設定したことで、恵まれた立場でパーンの追っかけができるというメリット面以外に、ロードス本島では「元・暗黒の島出身」ということへの風当たりの強さも想像できる。

   とりわけ、将来、ヴァリスに行ったなら、頭の固いファリス教徒に「マーモの人間が、英雄パーン卿の称号を騙るとは不敬である」などと罵られたりする可能性もあったり。

   一方、「自由騎士」という称号は、マーモ出身の人物にこそふさわしい、という理屈も構築できる。何しろ、昔のマーモ帝国は邪神ファラリスを奉じていたし、ファラリスの教義は「過度な自由の尊重」だったりもする。

   ライル率いる自由騎士団が成立するなら、反フレイム以外に、国家の枠組みに縛られない独立独歩の精神を主張するだろうけど、それは既存の権力者から見れば、革命を扇動する危険分子のようにも見え兼ねないわけで、その辺のジレンマもドラマに描かれるとするなら、ますますライルがマーモ王子であることが、今後のストーリー展開の核にもなると考える。

(当記事 完)