Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

昨日はこどもの日

ゴールデンウィークも本日で終了。
明日から、また日常の仕事人間に戻るわけですが、自分は「子どもたち(花粉症ガールと、宇宙大怪獣の妖精幼生態が不定形変形した帽子改めネコ耳)」を無事追い出して九州方面に修行の旅に送り出して、一人のんびりモードの休日でございます。
うん、明日からまた子どもたちの教育の仕事に携わらないといけないので、今日ぐらい、静かに休むのもいいかな、と。


え、「土日は友人と遊ぶ予定」じゃなかったのかよ、とNOVAのプライベートに興味津々な読者(いるのかよ?)のために、説明おじさんモードを披露すると、「当初の予定では、土曜か日曜に難波の街を散策すること」を予定していたわけで、つまり「土曜か日曜のどちらになるかは、まだ未定」だったと。
先方が「土曜は厳しい、日曜日に」と言っていたのだけど、やはり「土曜日でOKになった」ということで予定がギリギリで二転三転した挙句、無事に昨日「こどもの日に難波を散策する難波チルドレン計画」がミッションクリアとなった次第。
なお、昨日の朝は、シンカリオンのチルドレンも、新大阪駅に来ていたようで、うまく合流できればとも思ったのだけど、彼らはたこ焼き不定形目玉モンスターとの戦いに忙しかったみたいで、邪魔しちゃいけないな、と自分はNOVAならぬEVA列車の中に潜んで様子を見ていたら、変形する前にドラゴンナックルのリュウジ兄さんが駆けつけてくれたので、NOVAの操るシンEVAリオンの出番はなし……とまあ、よくもここまで妄想書き連ねられるな、と自分でも感心する次第。


あ、ちなみに今の書き込みは、若干のアレンジを除けば、全てが事実に基づく記載であります。9割の事実に、1割の妄想を混入するぐらい。フィクションネタにしても、事実は小説よりも奇なり、でございます。
と、こう書いてみて気づいたんだけど、最近ケイPが多用するようになった、この「〜であります」口調。ケロロ軍曹かな、と思ったら、実はシンカリオンのシャショットの影響だったのか。
プラレール 新幹線変形ロボ シンカリオン ふりふりトーク シャショットでございます!
シャショットは普段、主人公ハヤトの背中のカバンに擬態したりもしながら、シンカリオンを操縦する彼のナビ役を担当しているけれど、ケイPも翔花のナビ役ぐらいできるといいのかな、と思ってます。
そうすれば、翔花の物語にNOVAが必要以上に関与しなくても済むし、作者である自分が主人公ヒロインに肩入れし過ぎちゃ、ご都合主義のチートバトル展開を多用することになりかねず、いずれ書く方も飽きが早くなるだろう、と。
その辺、作者と主人公の立て分け、というのがきちんとできるかが、創作家の技量の問題になると考えます。結局、創作の全ての登場人物が作者の内面の分身である以上、また作者自身、書いていて主人公に感情移入するのが普通である以上(たまに、主人公の友人や導き手、稀にだが敵キャラに主人公以上に感情移入している作家も見るけれど)、主人公がひどい目に合うと身を切るように辛いと考え始めてしまうと、書いていて鬱になることも。しかし、だからと言って、主人公を甘やかして俺ツエーを繰り返しても面白い作品にならないし、この辺のバランス感覚が作者のセンスってことになるのかな。


創作手法の話はこれぐらいにして。

ゴールデンウィーク総括


さて、今回のゴールデンウィークは前半と後半に分かれ、それぞれで私的イベントを行った。
まあ、この年になると学生時代なんかと違って、毎週のように友人と会って、しょっちゅうゲームを楽しむとか、見てるテレビの話をするとか、リアルではなかなかできなくなっている。みんな、仕事やプライベートの活動で忙しく、わざわざ会って話をするだけでも、何かの口実が必要になる。
それが映画を一緒にとか、カラオケとか、ボードゲームオフとか、ショッピングオフとか、他にもいろいろ。結婚して家庭持ちになれば、嫁や子供たちへのサービスとかがメインになり、友人の優先順位が下がったりもするし、人によっては妻とボードゲームを一緒に楽しんで、ゲーム仲間の友人を自宅に招いてゲームパーティーを定期的に開催する家庭もあるとかで、そういうのを目指そうと思ってみたのだけど(10年ほど前にGTライフを立ち上げた時は、そういう方向も意図してみた……が、うまく軌道に乗らず)。

結局、今、心理的に一番近い友人と考える人たちは、掲示板なんかで毎週、書き込んでくれるネッ友で、共通の趣味仲間感覚で定期的に和気藹々と団欒できていると思っている。
それとは別に、リア友もいるわけだけど、そうしょっちゅう会うこともなくなり、関係維持のために、半年に一度、または一年に一度、会ったりするわけで。その機会として重要なのがゴールデンウィークだと。


前半は、映画仲間とレディ・プレイヤー1アベンジャーズを見に行った。彼とは地元の連れで、大人になってから、とあるきっかけで付き合うようになった。
元は同じウルトラ映画のファンだったり、実は自分と下の名前が同じ字(読み方は微妙に違う)だったり、その他、奇縁がいろいろあって、しかも、こちらの特撮関係やガンダムなどマニアックな話題に、ことごとくリアクションできるという非常に稀有な才能の持ち主だったり。いや、ネットだったらそれなりにいると思うけど、リアルで身近だと、なかなかね。
惜しむらくは、アナログゲームが素人なのと、土日が臨時の仕事が入りやすいためにスケジュール調整がしにくいので、もっぱら公開映画に合わせて、という付き合い。あと、スパロボ仲間でもあるのだけど、お互いプレイ時間が昔ほど確保できなくなっているようで、懐古話がメインになっている。
そして、NOVAにヤマトのDVDを貸してくれる恩人でもある。こっちはお返しにスペーススクワッドとか、スーパーガールを貸して、WinWinな対等関係を維持。こういう連れは大事にしたいものである。


後半は、また別の友人だけど、こちらは家が結構遠い。同じ関西圏だけど、電車で一時間半程度。大阪の西と東になるので、会うのにもそれなりの交通費とか手間暇を要する。
ボードゲームオフでのレギュラーなんだけど(GTライフの初期記事でも言及している)、自分の職場の教室をゲームのプレイ会場にしたり、相手の自宅に遊びに行ったり、そんな付き合いを10年以上続けている。まあ、その都度「わざわざ遠い距離をゲームのために来てもらう、あるいは、こっちから出向く」関係になって、それなりに疲れるようにもなった。
まあ、今回は両者の中間地点に位置する難波、日本橋での買い物オフになったわけだけど(準備しなくていいので気楽。ゲームの場合はメンツ集めから始めないといけないので、気軽にはできなくなっている)、普段はゲーム系&ニチアサ系の掲示板で定期的に書き込みながら交流継続している間柄(念のため、そこでのぼくはNOVA名義ではなく、別ハンドルを使っているので、こっちとは切り分けている。一応、管理しているのは自分なんだけど、本来はボードゲームオフなどの交流&連絡用)。
彼と付き合うメリットの一つは、自分よりもデジタル機械系に詳しく、ぼくがiPadを使うようになったきっかけも、彼の話の影響が大きい。人付き合いをする理由としては、自分のアンテナとは違う角度からの情報が手に入るからで、その分、こちらの提供する情報が相手のメリットにもなるようなら、互いにWinWinを維持できる。要は持ちつ持たれつで、これが完全に一方通行になってしまうと、友情は成立しない、とぼくは考える。


逆に言えば、「人間関係を維持するコツはギブ&テイクを忘れないこと」だと、ぼくは考えるし、そのための「交流の場とか機会を維持する努力」かな、と。逆に、一方から一方への依存が偏りすぎるとダメだし、互いの持つ世界観への尊重とか、信念をぶつけ合わない程度の距離感とか、自分の全てを相手に理解してもらおうなどというのは思い上がりだとか、まあ、そういうことかな。さすがに人は他人の全てを受け入れられるほど万能ではないし、それはどれだけ仲のいい親友であっても、限界がある。
だから、コミュニケーションが不得手な人間は、コンピューターと同じ0か1の二極思考に陥りがちで、「分かってもらえない」か「全てを分かってもらえる」のどちらかで極端な接し方、あるいは拒絶をしてしまう。若い子にはありがちだけど、敵か味方かの二極、あるいはそこに無関心を入れて三極でしか人間関係を構築できない。曖昧さを許容できないわけで。

理解と共感の相関関係


ちょっと、ゴールデンウィークでリア友にあった話から、リアルに限らず友人関係についての自論を語ってみた形。


ここで、人間関係に限らず、例の座標軸4分割分析で、「頭で理解する」と「心で共感できる」というテーマを考えてみたい。どちらも日本語では「分かる」という曖昧語で表現されがちだけど、デリケートな場面では意味がズレることもある。
「言葉の意味は分からないが、とにかく凄い自信だ」というキン肉マン発祥のギャグセリフが、理屈と感情の分かり方の違いを端的に表現していると思うんだけど、とりあえず4分割すると、

  1. 理解できるし、共感もできる
  2. 理解できるが、共感はできない
  3. 理解できないが、共感はできる
  4. 理解できないし、共感もできない

この4つに分割した場合、1番は簡単で普通に分かり合っている理想的な関係。
逆に4番はディスコミュニケーションな状態だね。何を言っているか分からないし、それでも必死に主張する相手に対して、引いてしまうことだってある。あるいは、言葉の使い方が下手とか、そもそも、言葉で伝えようとしないまま、ひたすら感情だけ押し付けてくるとか、独りよがりが目立ってしまうケースも考えられる。とにかく、この状態だと、完全にコミュニケーションは失敗ということになる。一度、こうなったら修復は困難なので、一度距離をとって時間を置いた方がいいのかも。


はっきりしない中途半端な状態が、2と3の場合だけど、普通に友達として接するには3の方がいいんじゃないか、と考える。
これはシンカリオンのチルドレンの友達仲間関係を例に挙げるけど、主人公のハヤトは「自他共に認める鉄道オタク」で、そのマニアックな博識ぶりに、周囲の大人(父親のぞく)や友人は、「全く意味が分からん」と応じる定番ギャグがある。
このマニアックなノリに、見ているこちらとしたら、「おお、凄え。ハヤトのマニアっぷりには頭が下がる。知識には付いていけないけど、いい勉強になるし、何よりも彼の鉄道愛には共感できる。ジャンルは違えど、自分も特撮マニアだし、ロボットマニアだし、その他諸々マニアを自認するので、彼のこだわりや興が乗ったら際限なく語りたがる癖は、まったくもって俺そのものだ。俺の好きな四文字熟語は錯乱狂気、いや博覧強記だ」って感じになる。
まあ、ツラヌキの土木マニアとか、アイドルオタクっぷりも違う方向で振り切れていると思うけど、常識人のアキタだけは精々スイーツオタク程度で、マニア度は低い(「話は読めた」か「ちっとも分からん」の二択しかないので、頭は悪くないのに、理解できないと即、思考を放棄する癖が教師としては気に掛かる)。
アキタのツッコミセリフで気になったのは「鉄道を鉄道で例えるな」。いや、これジャンルを特撮に変えると、しばしば自分もやってることでして、「特撮を特撮で例えるな」と言われると、自分はどうすればいいのかな? まあ、そこでいろいろ引き出しがあるのが強みかも。特撮が通じなければ、スーパーロボットとか、必殺仕事人とか、TRPGとか例えるネタは豊富でって、どんどんマニアックな方向に突き進んでどうする、自分(爆)。まあ、学校の勉強に例えるなり、世間の常識に例えたり、相手の関心に合わせた例え方のパターンはストックしていると思いたい。
というか、そのアキタの「自分が関心を持たないジャンルについては、端から話を聞こうともしないコミュニケーションを拒否した態度」も、先生は問題あると思うぞ。ツラヌキの、実は最も幅広いジャンルに突貫工事していく多芸ぶりを見習うべきだと思うぞ、先生としては。まあ、ツラヌキは戦闘バリエーションが一芸特化で、ドリルで突っ込んで行くだけの芸のなさが問題なんだが、学校とは関係ない戦闘スタイルについては先生が口を挟める世界じゃないからなぁ。


ともあれ、この三人、個々のジャンルに対するこだわりは結構あるので、うまく接点を持ったジャンルのすり合わせがハマると、「鉄道オタクと土木オタク」のコミュニケーションの盛り上がりとか、「鉄道オタクと、各地の名産好きで旅への関心は強いクール派」の相互関係は悪くない。
仲間も主人公に対してツッコミ入れまくりで、過剰な鉄道オタクっぷりには付いて行けないけど、その辺の距離の取り方はしっかり心得ていて、さらに主人公との気持ちそのものは通じ合っている。だから、親友同士として共闘できている次第。
この辺は、今時の子供の人間関係のテキストなのか、あくまでアニメならではの理想像なのかは断言できないけれど、オタクの目を輝かせてのテンションの高まりっぷりは、見ていて大変心地良かったりします。
プラレール 新幹線変形ロボ シンカリオン DXS03 シンカリオン E7かがやきプラレール 新幹線変形ロボ シンカリオン DXS01 シンカリオン E5 はやぶさプラレール 新幹線変形ロボ シンカリオン DXS02 シンカリオン E6 こまち
まあ、普通に友達としてやっていくなら、「言葉の意味は時々分からないけど、とにかく凄い楽しそうで、勢いにしばしば乗せられる」ってのがいいのかも知れない。まあ、子供心的に。


そして、残った2番。
言っていることは理解できるけど、共感できないという人間関係がどんな感じか。話し手の説明能力が高いか、それとも聞き手の理解能力あるいは意欲が高いかは分からないけど、とにかく言っていることは伝わっている。
だけど、そこに共感性を伴わなければ、仕事を一緒にする同僚にはなれても、オフの日にまで付き合いたい友人にはなれないだろうね。
「お前の言っていることは正論だが、気に入らねえな」って感じのギスギスした関係。
もっとひどいのは「お前の言っていることは理解したが、その中身は間違いだらけだ。もっと、きちんと勉強して来い。全くもって気に入らねえ」って場合。
まあ、これに対して、「俺が勉強不足だってのは分かったが、そんな言い方はないだろう。気に入らねえのはお互い様だ」と返すようなら、まあケンカ別れして、それ以上付き合わない方が賢明だろうね(爆)。
少なくとも、一度、こういう関係が定着したなら、対等の人間関係はまず成立しないと思われます。まあ、フィクションのドラマだと共通の課題に対して、それぞれの得意なアプローチをうまく組み合わせて、協力によって目的達成し、お互いに「なかなかやるな」「そっちこそな」とエールを交わし合うハッピーエンドも有り得るけど、現実だとそういうギクシャクで共同作業が上手く行くことはまずない(あったとしても、それは双方の能力、潜在能力、そして運の高さとご都合主義の産物である)ので、期待しないほうがいい。

まあ、性格が違う対照的な二人が、互いの長所を発揮して弱点を補うことで上手く行くケースも仕事ではあり、そういう人事を行う場合もあるけれど、この時には両者の関係を取り持つ懐の広い上司が付き物だったりしますね。1対1だと、まず不可能じゃないかな。
もちろん、そういう「言葉は通じるけど、分かり合えない」異質な性格の相手とも何とか適度な距離感で付き合うのが、子供ではなくて大人な態度だと思うのですが、それが続くと、やたらとストレスが溜まるので、付き合う頻度を減らすのも大人の知恵かな。


って何で、こんな話になったかと言えば、子どもの日を越えて、ゴールデンウィークも終わる以上、明日から大人モードな自分を取り戻すため、と言い訳してみる。(完)


PS.昨日はいろいろ買い物をして、金欠状態(爆)。その分、消化しないといけない本やDVDや、ゲームのルールブックなんかが増えたので、しばし、リアルな人間関係は(仕事以外)忘れて充電タイムに移ります。まあ、ネットでの掲示板での定例書き込みなんかはマイペースで続けるし、情報のインプットのたびにアウトプットは試みるけれど。
ともあれ、楽しい連休でしたマル