Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

タイトル変更のお知らせ

本日、3月25日をもって、本ブログは「つれづれ趣味雑記」から「スーパー空想(妄想)タイム」とタイトル変更します。
まあ、書く人間が同じなので、中身がそうそう大きく変わるわけじゃないし、相変わらず、趣味に関して思うことなんかをとりとめもなく、たまに教育者視点でまじめスイッチが入って、いろいろ語り尽くすつもりなんだけど、


「つれづれ」の一言が問題なんだよね。

兼好法師のつれづれ

これ、兼好法師の『徒然草』で時を越えて流行した言葉で、ブログ日記とかでもよく見かけるタイトルとして広く浸透していると思うんだけど、本来の意味って「することがなくて退屈」ということなんだ。
兼好さんは、出家遁世したお坊さんだから、書くこと以外の仕事がなくて、
まあ、当時の僧は儀式や説法に関わらない限り、知識階級として執筆・文化活動に精を出すのが仕事なので、今のニートとかとは違う。お経を書写するだけでも、立派な仕事になる時代なわけで。何しろ、印刷機のない時代なので、誰かが書写した物が別の誰かが研鑽するテキストになることも中世当時は常識。
要するに「暇してるから、思いついたことを適当に書いてます。でも、そこは神職として色々研鑽したり、交流を重ねてきたり、基本は物知りな人だから、教訓になるようなことも、それなりに書いてますよ」というのが、『徒然草』。

兼好さんにとっては、暇つぶしの無聊(ぶりょう)を慰める程度の雑文だったものが、それでも一応の保管は為されていて*1
江戸時代以降の国文学者が「これはいいものだ」とマ・クベ北宋のツボみたいに価値を見出した。
って、普通の学術書じゃ、兼好法師の話をしていて、マ・クベの話題なんて出てこないよなあ。そこら辺の話の飛びようが、俺のファンタジーってことで。


とにかく、本居宣長大先生を初めとする暇なおっちゃん偉い学者が、昔の文献の価値を自分で確かめて、「こいつは面白い。これこそ日本古来の精神ですよ。わびさびとか、もののあはれとか、そういう大切なものがここには記されています」と、自分が解釈した文献テキストを大いに持ち上げた。
そういうのを、多少の文字は読めるけど、昔の文献の解読まではさすがにできない江戸や京都の一般庶民たちが、「なるほどな。あの先生の紹介した本は立派なことが書いてある。ありがたや」と受け止めたり、
さらには己の生き方の拠り所をいろいろ求めていた侍たちが「なるほど、漢籍も大切だが、古来の大和魂でござるか。それならば是非とも修得して、我が士道の糧にせねば。武士の本懐、ここに極まれり」とまで真面目に考えたかどうかは明らかではないけど、まあ、そういう人もそれなりの数はいただろう(うーん、武士の10人に一人ぐらい? いや、20人に一人でもいいけど、それでも武士の数はそれなりに多いから、日本全体では結構な数になるでしょう)と、大雑把に推測できます。
そういう江戸時代の国文学者の研鑽の成果が、今、現在の日本史や古文の元ネタになっていて、アマテラスとか、ヒヒイロノカネとか、稲葉の白兎とか、ラビットラビットフォームとかを愛する人たちの糧となっているわけだから……ん? 何か違うものが混ざった気もするが、今は勢いがついているので止まらない。
仮面ライダービルド ライダーヒーローシリーズ 20 仮面ライダービルド ラビットラビットフォーム
あ、画像貼り付けたら、何かおかしいことに気付きました。さすがに、江戸時代の国文学者は、ラビットラビットフォームの話はしていないや。危うく、歴史を捏造するところだったよ。気付いて、ブレーキをかけられて、良かった良かった。
そう言えば、本居宣長大先生も、別に徒然草を高く評価したという証拠はないな。大先生が評価したのは『古事記』や『源氏物語』であって、『徒然草』は研究テーマではなかったはず。
ええと、NOVAが書いたのは、「大先生を代表とする、いろいろな国文学者の中に、『徒然草』を評価する者もいた」という意味であって、そこのところを短絡的に受け取って変な誤解をしないように。


とにかく、大先生ではなくて、兼好おじさんの話に戻るぞ。
あ、ぼくは本居大先生のことは、凄いと尊敬するけど、兼好おじさんのことは、尊敬していません。だって、「暇な時に好きなことを書いてたら、後世の人がヨイショしてくれて、一躍有名人に祭り上げられただけの、ただのお坊さん」だもん。

本人も、もし草葉の陰で、まだまだ転生せずに、この世のことを見ていれば、「わし、何で暇つぶしに書いただけの本のことで、ここまで持ち上げられたり、話題に挙げられるようになったのか、よう分からん。全ては、わしのことを研究しおった北村季吟とか、加藤磐斎ってのの仕業じゃないかな。あいつらに会ったら、一言言ってやらなあかん。わし、そんな大した奴やないって」的なことをブツブツ言っているんじゃないかな。

あ、尊敬はしてないけど、羨ましくはありますね。
たぶん、NOVAのブログじゃ、今から700年後も読み続けられて、貴重な歴史史料として評価され、中学生や高校生が昭和と平成、ついでに、その先の文化を研究するためのテキストとして、教科書に載ることは多分ないでしょうから。
兼好さん、実にラッキーやったな、と思います。


まあ、運も実力のうちやとは言いますし、兼好さんの文章が読みやすくて、庶民に受け入れられたのも事実。教訓が分かりやすかったのもいいですし、仁和寺の法師なる、おなじみのドジッ子キャラが登場するのもいい。
特に固有名詞も知られていないのに、仁和寺の法師ってキャラ立ちしていますもんね。自分は物知りだと思って、調子に乗って、人に聞けばいいものを分かった気になって、肝心なところを見逃してしまう、憎めないキャラ。
萌えキャラ化したら、「仁和寺法子(にんなじ・のりこ)」。あだ名は、のりちゃんより、「ニナちゃん」がいいかな。


って、何で、自分は徒然草から萌えキャラ作ってんだ?
花粉症のことは、名前も付けずに放置プレイしているのに。
まあ、そうしたら、勝手に大魔王に進化しちゃったから、手に負えなくなる前に、何とか片を付けないと、って思っているんだけど。


とにかく、突然湧いて出たニナちゃんのことは放っておいて、
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いやあ、私のガンダムがーと叫びながら、過去の男と主人公の間で突然、ややこしいドラマを作っちゃう、奇妙な心変わりしたヒロインのことなんて、別に好きでもないし(ネタにはできるけど)、
どうせなら、ちょっと伸ばして「ニーナ」にすれば、
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不思議な扉をくぐり抜け、ベルトサタンの手から救い出す大冒険に出向いてもいいと思っているぞ。
飛んでる魚の変てこりんな世界とか、
物言うキノコの変てこりんな世界とか、いや、まあ、それ割と普通じゃねえ? と思ってしまう大人がここに一人。
殺人魚フライングキラー [DVD]マタンゴ Blu-ray
ええと、メルヘンとホラー映画の世界じゃ、イメージが少し違うと思うけど、
本当は怖い世界の童話 本当は怖いシリーズ
必ずしも、そう断言できないのが現実ってものなんだよな。


うーん、ハクション大魔王と、ポールのミラクル大冒険*2タツノコつながりで、「インフィニティ・フォース」に登場しませんかね。
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ヒーローものとは作風が違うというのなら、ヤッターマンを中心にタツノコメルヘン集大成的な別世界を構築するとかさ。
ハクション大魔王VSベルトサタンとか、ポールのヨーヨーとヤッターマンのケン玉とか、共演させると相性いいと思うんだ。


って何で、仁和寺の法師から、ここまで話が展開するんだ?
これも、仁和寺の法師を萌えキャラにしようと言い出した奴が悪い。って、NOVAか。


結局、何が言いたかったかと言えば、兼好法師は「つれづれ」という言葉が似合うほど暇なおっちゃんだったけど、
NOVAは普段、忙しいと公言している(事実、明日からそうだし)、「つれづれ」なる言葉が似合わない男なので、やはりブログのタイトルは、よりふさわしいものに変えてリフレッシュしないとね、と考えた次第。

で、その結果が「スーパー空想(妄想)タイム」というわけです。
たぶん、この文章を読んだ後だと、このタイトルが実にしっくり来ると思います。
皆さんの貴重な時間を、この雑文にとらせてしまい、かたじけなく存じます。まあ、余暇の気晴らしと思って、どこに転移するか書いている本人にも図りにくい不思議なブログを、楽しんでいただければ、と思います。


ぼくも楽しい空想(妄想)タイムを終えて、用事の待っている現実世界へと一旦、舞い戻りたいと思います。(ひとまず完)

*1:ここ大事。戦火や天災などで消失し、歴史の影に消えた文献や、後から発見されて歴史学を塗り替える契機となった史料は数多し。だから、歴史学者やその端くれは、書物を大事にするのである。失われたものの大きさを推測想像する機会に、日頃の研鑽で接するから。ただし、保存状態がいいか悪いかは、個人の性格による。歴史学者は文章の中身の記述にはこだわるけど、物品としての美しさにはこだわらない人も多いからなあ。読めさえすれば、多少汚れてようが気にしない。もちろん、几帳面な人もいて、わずかなホコリも見逃さず、整理整頓に命をかけるような人もいるだろうけど、そういう人って、あまり古い史料に価値を見出さないんだよね。

*2:正式な番組タイトルは『ポールのミラクル大作戦』。でも、よく大冒険って間違えてしまうんだよな。理由は、基本、異世界冒険物語で、作戦立てるような軍事ものではないから。これがもう少しヒーロー路線、メカ路線になったのが『ヤッターマン』で、宗教寓話を題材にしたのが『トンデラハウスの大冒険』だと認識している。