Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

文庫版『岳飛伝』完結(自サイト創設、創作企画の思い出話含む)

最近は、花粉症関連の記事ばかり書いているような気がしますが、実は今週は雨ばかりで、花粉症の被害が少ないので、書く意欲の方も減っています。
普通は花粉症が治まっているのだから元気になって、他のことに目を向ける余裕ができるはずなのに、一度、あることが気になると、どうも、それが片付くまで落ち着かないので、結果として、他のことになかなか目を向けなくなる。
このままでは、NOVAは花粉症に心が囚われたダメ人間になってしまう、と恐れを感じたので、まあ、たまには気晴らししないとね、と思い立つ。


そうだ。
女なんぞに現(うつつ)を抜かしている場合じゃねえ。
俺は、ハードボイルドに生きるんだ。*1


と書き連ねて、ようやく本題。
この10年ぐらい、ハードボイルドのテキスト的に読み始めた北方謙三氏の「大水滸伝」シリーズの完結編『岳飛伝』の文庫版がとうとう完結しました。
岳飛伝 17 星斗の章 (集英社文庫)
とりあえず、完結編の17巻を先日、最寄りの書店で購入し、ホクホク顔。
先月出た16巻は、巻半ばでまだ読み終えていないので、すぐには読めないのですが、とりあえず日々の読書の一冊ということです。
大体、仕事前の空き時間に職場で読む用の本で、これまでは次の巻が出る前に文庫一冊ぐらい簡単に読み終えて、続きが出るのを待って、新刊購入……という流れだったのですが、今回は2月の日にちが少なかったのと、仕事の方がラストスパートという時期だったので、読書に気が回らずに読み進められないまま、こういう状況に。
まあ、読み終えたタイミングで、改めてブログ記事にする予定。

まずは懐古から

基本的にネットでは、「少年の心を持った大人」キャラをアピールしがちなNOVAですが、
TRPG関連以外の愛読書は、時代小説とか、ハイファンタジーとか、SF系が多く、いわゆるラノベ系はあまり読んでおりません。昔は『スレイヤーズ!』を初めとする富士見ファンタジア系や、電撃系、角川スニーカー系とか読んでたんだけど、いつからその辺を読まなくなったのか、よく覚えていません。
まあ、うちのサイト『ホビー館』を立ち上げる際に、サイトコンテンツを「特撮」「SFロボット」「必殺シリーズ」「RPG」の4つに絞って、その中に「ラノベ、および、それを原作とするアニメ」を含まなかったために、そちらへの関心が薄れていったのだと考えます。
サイト創設時にハマっていた作家は、必殺シリーズからのつながりで京極夏彦。そこから、ミステリーやハードボイルドという流れにも関心を広げ、まあ、掲示板などではあまり表に出さなかった裏の顔になっている感じですね。

それに、サイト創設時のイメージは、NOVAの現在の趣味を見せる場所というよりも、NOVAの過去の趣味を振り返る懐古感覚に満ちたコンテンツだったわけで。

平成ライダーも、クウガが始まったばかりで、どこまで続くか分からない状態だったし、現在を追いかけながら、むしろ過去の昭和ライダーシリーズの系譜をたどって昔話のできる場所をイメージしていました。その証が、特撮ヒーロー年表だったりするわけで、現在のようにwikipediaという知識をまとめた系の公開コンテンツのなかった時代、各個人サイトで書籍資料などを元に独自に作り上げた私的データバンクが、作品公式サイトと合わせてネット内での知識の源泉だったりして、自分も「自分が懐古話を語る際に参照できる便利なネット上の資料」として、嬉々として年表なんかを作っていった記憶があります。
スパロボも、基本は「古き良きロボットアニメへの懐古」という形で始まったゲームですし、
必殺シリーズも、2007で復活する前の2000年当時はすでに終わっていた作品。
RPGも、当時はまだ「冬の時代」が明けておらず、自分にとっては昔話として語りたい感覚が濃厚でした。

もちろん、懐古趣味オタクの一人遊びの場として立ち上げたサイトですが、掲示板などで現在放送中のヒーロー作品の感想や、プレイ中のスパロボの感想報告などが語られるようになり、こちらもそういう交流の場としての雰囲気が好きになり、「主に、昔話の好きな大人の人たちが、現在の作品を追いかけながら、各人の見識や想いを日曜ごとに語り合える居酒屋っぽい空間」になっていったなあ、と思っています。
当初は、管理人は裏方としてあまり前面に出ることなく、「自分の感想は、サイトコンテンツの形で披露」という形式をとっておりましたが、そういうスタイルだと「自分自身が交流の場に参加しにくい」ということもあり、状況を見ながら、自分の中でも路線変更。まあ、客人それぞれの書き込み芸披露の場に、自分も浮かれて踊り出した形で積極的に参加するまでになっています。

一時期は、ネット議論好きを表明したり、昔とった杵柄という気持ちで創作企画をフォローから運営する形になったり、東日本大震災の際には「自身の阪神・淡路大震災の経験」から本気で心配になって掲示板の皆さんの動向を確認したり、何というか、掲示板運営の中で見えていただけでも、いろいろなドラマを味わってきたなあ、と感じ入ります。
その中で、北方さんの小説に出会ったのは、まあ、創作企画のためのイメージソースって感じでしたね。

創作企画の始動

この小説を読むきっかけは、創作企画『星輝士ラーリオス』のNOVA担当分、前日譚に当たる『プレ・ラーリオス』のためです。
この企画の原案を、うちのサイトに持ち込んだ「流離の転校生」(流転)氏については、その後、いろいろあって天性のトラブルメーカー気質を持ち合わせていることも判明し、まあ、語ると、しみじみ非建設的な愚痴とか哀惜の念(こうすれば良かったのに、うまく立ち回ってくれなくて残念)が尽きないのですが、自分にとっては、そういうマイナス要素を凌駕して、プラスに転じるように頑張って、それが実を結んだという想いもあって、企画を立ち上げるに至った巡り合わせには感謝の想いを抱いています。

何だかんだ言って、企画を動かすに当たって、自分があれこれ考えたり、コミュニケーションの契機になったり、そんな中でアクティブに考える自分を再発見できたことが喜びですね。
自分の創作への夢が90年代の終わり頃に断ち切れた、という想いがあって、
ホビー館立ち上げの動機の一つも、そういう燻っていたネガティブ感情を、自分を振り返ることで昇華したい、という想いもあって、
SF作家の山本弘氏のサイトにお邪魔して、純粋な善意から手助けを申し出ながら、結果的に互いを傷つける形になってしまったことも、根底には羨望とか、虎の威を駆る何ちゃらめいた浅ましい思いもあったりして、
いろいろ満たされない気持ちが解消できないまま募っていた矢先、2006年末の事故で左足骨折、当時勤めていた職場を退職する形になってしまい、先の見えない状況で、歩けなくてもサイト運営は変わらずできる、という気持ちで、まあネット上の日々の業務はこなしていたわけですが、
2007年の春から少しずつ歩けるようにもなり、それまで蓄えた貯金や周囲の手助けなども借りながら、個人経営の塾を開業……というタイミングで、自分の前に現れたのが、件の企画主だったわけですね。

まあ、「間も無く立ち上げる予定の自分のブログで、特撮ヒーロー風味の創作企画に協力してくれる人を募集」という名目で、うちの番組感想主体の掲示板に書き込んでくれたわけですが、
明らかに場の空気が読めていない雰囲気にも関わらず、「NOVAのくすぶっていた創作熱と、新企業立ち上げ時の高揚した気持ちと、タイミングよく開店休業状態に近かった議論用掲示板を持っていたこと」など諸々の条件が重なって、
「そっちがブログを立ち上げるまでの期間限定という条件で、自分の使っていない掲示板を話し合いの場所として提供する。自分も創作活動は経験していたので、企画にも喜んで参加する。一緒に話を盛り上げた上で、そっちが準備が整った段階で、後は引き取ってもらう」
という条件提示で、ラーリオス企画は立ち上がったわけですが、まあ、すぐに分かったのは、「企画主が、口では大きなことを言うけれど、掲示板の企画をうまく回す議論能力も、肝心要の創作能力も、そして、最も酷いことにブログ作成のノウハウも、こちらが満足できるレベルには全く達しておらず、一人では何もできない」ということ。

いや、どれか一つが欠けている程度、あるいは何かに秀でた才能を持つなら、まだ良かったんですがね。
あるのは熱意だけ。
まあ、その熱意が実って、飛躍的に急成長する可能性も、その段階で、ぼくは信じておりました。そして、足りない部分は、自分がフォローしていけば、それなりの形は作れるかな、という自信もありました。
だって、ネット上の議論についても、創作活動についても、そして掲示板などのツールについても、いろいろ経験済みでしたから、自分の中では確かな実績があるわけです。
そして、企画主の大言壮語からすると、彼も自分と同等の実力を備えた男で、熱意に関しては、くすぶっていた自分に火をつけるだけの物がある、と感じられたわけです。
まあ、その時の自分は激しく躁状態だったのでしょうな。
それでも、足がまだ不自由で、開業したばかりの塾も広告を出したばかりで、まだ客もいない、教室からあまり動けずに時間だけは十分にある状況で、昔取った杵柄と今の経験で盛り上がれる企画がある、そりゃあハマりますよ。

自分の中の視点では、まさに天の配剤。

結果的に、そういう自分の思い入れの強さが、企画主の想像以上だったのか、彼の不慣れな企画運営をフォローしていたぼくの方が仕切る形になり、また、彼が自信を持って披露した習作(誤字だらけの稚拙な代物)を、何だかぼくが溜息つきながら添削指導する形になり、「見てられん。せめて、この程度の作品を書けよ」と彼に提示して、こちらが議論を通じてブラッシュアップした企画案に則る形で、前日譚の『太陽の失墜』を掲示板にアップ。
ぼくの中では、この時点で彼を見限って、早々にお引き取り願うつもりでした。
だから、しきりにせっついたわけですね。「早くブログを作れよ」
自分としては、ブログなんて、その気になれば、3日以内に方針固めて立ち上げることが可能だったんですが、何をもたもたしているんだろう、と当時は思いましたね。

正直、彼の作業スピードに付き合うよりも、うちの新規開業した塾の方が夏休みを越えて、相応の生徒を確保できるようになって、遠からず時間が取れなくなって、本業を優先すれば、彼のお遊びに付き合える余裕はなくなることが目に見えていましたから。

すると、うちの掲示板、というより、ぼく自身がそろそろ企画はお開きだな、と感じて、彼を追い出す決意を固める直前ぐらいに、こちらの熱意を見てくれていたK.K氏が、「自分が掲示板を立ち上げて、企画を側面援護しよう」と言ってくれたりも。
氏の好意は、企画主ではなく、NOVA自身に向けられていたようで、こちらも「K.Kさんがサポートしてくれるなら、ぼくも、兼ねてからじっくり話す機会を持ちたいと考えていた方だし、ちょうどいい機会だから、もう少し頑張ってみるか」という気になって、そこで、ある程度、今後の役割分担を考えてみることに。


・流転さん:企画原案者、本編作者
・NOVA:アドバイザー、企画運営の実質責任者、前日譚『プレ・ラーリオス』作者
・K.K氏:掲示板管理人、企画の雑務、バックアップ的立場


こんな感じですね。
事務仕事があまりできない流転さんは、個人の裁量でできる創作活動に専念してもらって、掲示板上でのアイデア募集や、そこで行われるブレインストーミングは、NOVAやK.Kさんを中心に、互いの本来の仕事の負担にならないよう、うまく回していく形。
なお、流転さんのブログ立ち上げは、結局、K.Kさんの陰からの助言なしでは、無理だったようで、この時点で、K.Kさんも流転さんのフォローがいかに困難か、肌身に染みたようで、ぼくにこんな感じの警告の言葉を口にしたりも。


「彼は助けられると、それに甘えるばかりで成長しない。NOVAさんが彼を構う気持ちも察するが、ほどほどに見極めをつけた方がいい」


いや、それは分かっていたのですが、自分は『プレ・ラーリオス』を書くことにハマっていたし、彼を助けるつもりよりも、むしろ自分をフォローしてくれたK.Kさんの労に報いるつもりで、あれこれ手を尽くしていたわけですな。
これは、直接、K.Kさんには伝えていないんですけどね。もしも、K.Kさんがここを見て、この隠しメッセージに気づくようなことがあれば、幸いなり。

そして水滸伝

水滸伝 文庫版 全19巻+読本 完結BOXセット (集英社文庫)
ここまで、延々と北方さんの作品とは関係ない話を展開してきたようですが、ぼくの中ではしっかり繋がっております。


『プレ・ラーリオス』の一人称主人公カート・オリバーは、図体は大きいが内面はナイーブな高校生。スター・ウォーズターミネーター、そしてパワーレンジャーに憧れるけれども、それはあくまで幼少期の思い出がメインであって、物語背景である2016年末*2の時点では、そういうジャンルは子供っぽい、リアルじゃない、という理由で拒否反応を示します。しかし、基本は星矢風の現代ファンタジーである星輝士たちの裏社会に接することで、現実と空想の境界線がいろいろ崩れ、肉体的に傷つき、精神的にも不安定になっていき、最終的に悪魔のように暴走して……という青写真はあったのだけど、とりあえず太陽の星輝士としての順調な成長を遂げた後、闇堕ちに至る辺りで執筆中断。
そして、いわゆるオタク趣味に代わって、カートが大人っぽいと憧れるようになったのがハードボイルドな探偵小説。まさか、そういう設定を考えた数年後に、「ハードになりきれないハーフボイルドな私立探偵を主人公に据えた仮面ライダーW」が登場するとは思いませんでした。
まあ、それを言うなら、スター・ウォーズも、ターミネーターも、パワーレンジャー第1作も、NOVAがプレ・ラー本編で「過去の作品」として描いたものが、2015年から17年にかけて次々とリアル世界でリバイバルを果たし、個人的には、本来死ぬはずだったカートがそれらのリバイバル作品を鑑賞できる時間軸を、作品を中断することで用意したのだ、と思っています。
中断した理由はいくつかあるのですが、NOVAの精神的には、死んでしまう予定のカートを殺せなくなってしまったこと。もう、自分が書いた主人公に感情移入しすぎて、プロット通りに書いてしまったら、自分自身を殺してしまうような喪失感を覚えるだろうと気付いたから。
じゃあ、どうして、そんなプロットにしたんだ、と尋ねられたなら、設定を考えた時には、足も完治しておらず、自分の未来がまだ不確定で、ともすれば自暴自棄に走りそうな精神状態の中で、創作内で吐き出したい気持ちもあって。
この時期の不安定な精神状態だからこそ、書き得た物語があって、でも、それをリアルで通り過ぎると、初期プロットが自分のその時の精神と噛み合わなくなってしまい、書き続けるのが困難になる、と。
そうなる前に、完成させなければいけなかったんですがね。現実の仕事に時間を割かざるを得なかったわけで。


で、ついつい自分の創作したカートに気が行ってしまうのですが、彼が憧れたのがハードボイルド。
ただし、この時点でNOVAは、これこそハードボイルド、という具体的なイメージを持っていませんでした。よって、ハードボイルドの教科書として、プレ・ラーのイメージソースになり得る作品として選んだのが、北方水滸伝でした。
北方水滸伝を読むことで、それまで何となくイメージだけの概念だったハードボイルドの雰囲気が明確に脳内に浮かび上がるようになり、そして、そんな漢たちの様々な死が描かれた作品に接して、キャラの死ぬシーンまで明確に思い描けるようになった結果、作品としては書けなくなってしまいました。

何せ、自分が書こうと思っていた一人称主人公の死ぬ場面って、

「こうして、ぼくは死んだ」で、幕ですからね。
まあ、その後、新たな章で、死んで魂になったカートの視点で、さらなる続きの物語が描かれる予定でしたが、そういう不安定な感覚を物語にしようと思ったのも、2007〜2008年の自分の不安定さがあればこそ、で、今そのプロット通り書こうとしても、魂のフワフワ感が実感できるようには書けないだろうな、と。(つづく)

*1:ハードボイルドに生きる人は、花粉症を女に見立てることは普通しないと思う。

*2:ラーリオス本編が企画開始時の2007年から10年後の近未来設定。今となっては過去なんだけどさ。そして、プレ・ラーは前日譚なので少し前の時間設定と。