さて、年明けを予告していた『王の帰還』の追想です。
この映画の公開は2003年年末、日本では2004年の2月になります。
この作品で見たかったのは、前作で先送りになった「大蜘蛛シェロブとサムの対決」、それと「男では倒せないと予言されたアングマールの魔王対ローハンの姫騎士エオウィンの対決」です。
どちらも満足いく形でビジュアル化されていたので、まず見たい物を見たという充実感は得られた、と。
その上で、サルマンの死が劇場公開版ではカットされ、ファラミアの扱いが相変わらずよろしくないと不満はあれど、
前作ではドラマ的に弱さが強調されたアラゴルンが吹っ切れて、王の剣アンデュリルをエルロンドから託されたり、原作を踏まえた強い王者としての覚醒が描かれたため好印象。
で、ゲームも出たのですが、
何だか、最初の面から難易度が高くてクリアできず、放り出した記憶があります。もう一回、『二つの塔』からしっかりプレイし直して、スキルを高めてから再挑戦するのも一興かな。
フロドの章
前作ラストでは、主役が従者のサムに交代した指輪所持者。
実際、本作で彼はゴラムの策略にはまって、サムに疑念を抱き、「もう、お前の助けはいらないから、故郷に帰れ」と宣言する始末。
この(指輪の魔力のせいで疑心暗鬼に陥った)フロドの姿は、『ホビットの冒険』におけるトーリン・オーケンシールドの姿にも通じそうですがね*1。
で、サムを追い払ったフロドがゴラムの罠にはまって、シェロブの巣に誘い込まれます。映画では、原作よりも比較的抵抗するものの、結局は麻痺毒を受けてしまい仮死状態に。
そして、一度は主に見捨てられたことで悲嘆に暮れるサムですが、忠誠心を発揮して、フロドを倒したシェロブと対決。ゴラム共々追い払うことに成功しますが、動かないフロドを見て絶望。
だけど、そこに通りすがったオークの会話から、フロドが死んだのではなく、時間がたてば回復することを知って喜びます。それからオークに連行されたフロドを助けるために、知恵と機転とマジックアイテムの力で大活躍、と。
この流れは、まるで「三蔵法師と孫悟空(西遊記)」を思い出す、非力な主人と、従者のドラマ。ただし、孫悟空と違うのは、サムが決して強いキャラではないということ。それでも、シェロブ相手に死に物狂いに戦って、オーク相手に奇襲攻撃を仕掛けて、さらに相手の内輪もめに便乗するなど、元来冒険には無縁であった庭師の奮闘ぶりに感動できます。
原作でも、フロド以上にサムや、メリー、ピピンの活躍が目立った終盤の展開ですが、だったらフロドの魅力は何か、というと、戦いではなく、サムとの交流(会話シーン)において、自分の運命について達観して語るところですね。
自分の物語がこの後、どう展開するか、ある意味、作者視点でサムに語って聞かせる場面があって、さらにフロドの成長は指輪を放棄してから、ホビット庄の掃蕩(サルマンとの対決)がクライマックスなのですが、映画ではその部分を蛇足であると解釈されて省かれたために、フロドの成長が描ききれなかったと思います。
『指輪物語』の最終的なテーマの一つは「力の放棄」であり、慈愛や人徳とは何か、みたいなところまで踏み込み、最終的には故郷を荒らしたサルマンさえも哀れむフロドの態度に、サルマンが敗北を認め、悔しさを表明するという終わり方を見せるわけですが、
映画的には、もっと派手にビジュアルで見せられる要素を強調したために、最後の最後でフロドが割を食った形になります。
まあ、フロドの物語は「喪失と後継の物語」であり、彼が全てをサムたちに託して、エルフとともに中つ国を去って終わるのですが、
一方、その前日譚のビルボの物語は「獲得と望郷の物語」であり、「冒険に旅立って、試練を経ての成長、そして帰還」につながるので、より前向きに受け止められるな、と思いますね。
『指輪』は『ホビット』とセットで、初めて真価も分かる形でしょうし。
たとえば、「姿を消せる魔法の指輪」という特殊能力は、『指輪』では冥王サウロンの影響のせいで、あまり使ってはいけない危険なものとされます。つまり、フロドはそれを旅の途中であまり有効に使えない。フロドが指輪を使う局面は、禁断の魔法を使うような深刻さを伴う、と。
一方で、ビルボの場合は、そういう制約を知らないため、本当に便利な小道具として指輪を多用する。映画の第1部では指輪の獲得が後半の大イベントだったため、まだ有効に使っていませんが、第2部以降は、指輪とスティングの剣を活用して、物語の主人公として大活躍する予定。
とりわけ、シェロブの分身ともいうべき大蜘蛛との対決も、一つの見どころになるはず。主人公が主人公らしく活躍する、冒険映画としては盛り上がる展開になることが期待できるでしょう。
ガンダルフの章
前作で、灰色衣から白に転生して、ローハンやアラゴルンたちの窮地を救ったガンダルフ。
今回は、ゴンドールの窮地に駆けつけ、戦いの指揮官を務め上げます。
そして、ガンダルフのピンチに、ローハンの騎兵軍、そしてアラゴルンが駆けつけるという、前作とは対になる構造ですね。
この辺は、『二つの塔』と『王の帰還』をセットで考えると、戦場の構図がいろいろ比較対照できて面白いです。
前作では、アラゴルンたちが前線で走り回って、ガンダルフが美味しいところを持っていく。
今作では、ガンダルフが前線で走り回って、アラゴルンたちが美味しいところを持っていく。
その意味で、『王の帰還』ではガンダルフの出番が非常に多くて、彼の強さが堪能できる作品。それでも、戦は数が物をいうことがビジュアル的にも明らかで、ガンダルフがどんどん敵を倒しているのに、ゴンドールの首都ミナス・ティリスがどんどん崩壊していく様が、非常にハラハラさせられる。
ビジュアルの美しい映画で、自分が最も感動したのが、ゴンドールからローハンに援軍を要請するため、通信用の灯火を焚くシーン。
広大な山並みに沿って、次から次へと火が灯り連なっていく場面は、ニュージーランドの豊かな自然を映し出して、不思議な高揚感を覚えたところ。
ストーリー的には、「ゴンドールがローハンに救援を要請。次から次へと灯る連絡用の明かり」というだけの内容ですが、もうビジュアルインパクトが抜群で、名シーンの一つだと思います。
そして、ミナス・ティリスが陥落目前というときに、北の荒野から現われるローハンの騎馬部隊。
ローハン軍VS冥王軍の「ペレンノール野の合戦」こそが、本作が一番盛り上がる戦場クライマックスと言えます。
バトルシーンとしては、第1作の「モリアでの洞窟内バトル」という少人数から、第2作の「角笛城戦」へと進化。ただし、角笛城戦は夜の攻城戦であり、騎兵の本領を発揮したものではありません。
やはり、騎兵の本領が描かれるのは、日中の日差しの中で、雄大な広野を舞台に激突する場面でしょう。
「洞窟」→「攻城戦」→「大平原での激突」と、次第に戦いの規模が広がっているのが分かって、三部作を3日かけて続けてみると、劇場で毎年順に見て行った時とは違う感慨が得られたり。
これが『ホビット』だとどうなるか、ですが、
第1部では、やはりモリアとゴブリンの洞窟がメインで、基本的に屋内バトルなんですね。
第2部は、原作的に攻城戦はないにしても、森や川などを経て、クライマックスは「竜の都市襲撃」になると思うので、都市での攻防戦が期待できそう。
もちろん、第3部は「五軍の戦い」がクライマックスでしょうが、原作ではあまりじっくり描写されていない戦いが、映画ではどこまで膨らむかなあ、と待ち遠しい。
ともあれ、『指輪』以上に、『ホビット』はシチュエーションがバラエティに富んでいますので、そこが映像でどう表現されるか、だけでも楽しみ。
で、ガンダルフの話ですが、
原作では、ふらっと姿を消しがちな彼ですが、その裏で、いろいろと中つ国の平和のために動いていたことが、『指輪』の追補編で語られています。
『ホビット』の映画では、その追補編の裏話設定も、いろいろビジュアル化されて語られるのが一つの目玉。
第2部では、『指輪』のラスボスである冥王サウロンが正体を現す前の仮の姿とも言うべき「闇の森のネクロマンサー(死人占い師)」との戦いも描かれるんじゃないかなあ、と思いますが果たして、どこまで踏み込むか。
原作ではない設定だけど、悪竜スマウグの都市襲撃が、実はネクロマンサーの意志が働いていた、という可能性もあります。
原作・追補編では、『ホビット』の時代にスマウグが倒されていたおかげで、指輪戦争の時代にサウロンがスマウグを利用して暴れさせなかった。仮に、そうなっていれば、人間側が勝つことはできなかったろう、というガンダルフの述懐もあって、スマウグとサウロンのIF関係が気になるところ。
エオウィンの章
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「楯持つ乙女」の異名を持ち、アングマールの魔王という強敵を打ち倒した彼女。原作で最も好きなシーンの一つです。
「女は戦場に出るな」と厳命されて、それでも騎士の家系の誇り高い娘として、男装しながら参戦する。
そして、伯父王セオデンの散り際の命を守るために、魔王に敢然と立ち向かう。小姓役のホビット、メリーとの連携で、魔王を倒すという最大級の武勲。
もう、このシーンが劇場公開版でカットされていれば、NOVAは『王の帰還』を駄作認定していたでしょう(笑)。
じっさいは、きちんと描写されて納得だったんですが。
ただ、後にDVDで追加された分では、「魔王の呪いに倒れたエオウィンを癒すアラゴルン」とか「エオウィンとファラミアの関係」とか、原作の大事なエピソードがいろいろ補完され、
つまり、劇場公開版が、原作ファンにとっていかに中途半端なものだったか、感じさせられたんですがね*2。
こういう魅力的な女戦士が『ホビット』原作にはいない点が気がかりです。
少なくとも、主人公のビルボは生涯独身だったので、恋愛劇にはならないだろうし。
目下の希望は、映画オリジナルのエルフ娘タウリエルが果たして、NOVAを萌えさせてくれるか、どうかですが。
アラゴルンの章
前作ではメインキャラとして活躍したものの、決定的な力は持てなかったアラゴルン。
今作では帰還する王として、鍛えなおされた「折れたる剣」を手に、かつての王家の契約相手だった死者の軍勢を従え、窮地のミナス・ティリス、そして指揮官の王を失ったローハン軍の劣勢を巻き返すために、戦場に駆けつけます。
第2部までは、「原作のアラゴルンは、こんな弱くない」と一部で批判されていたのが、まあ、第3部まで見て、大いに納得と。要するに、装備が欠けていたわけですから(笑)。
ムラマサを持たない「ウィザードリィのサムライ」みたいなもの。
とにかく、第3部のアラゴルンは、それまでの憂さを晴らすかのように大活躍するわけで。
さらに、最後の決戦の鍵は、圧倒的な軍勢を誇る冥王軍との力の対決ではなく、冥王の力の源である指輪をフロドたちが滅ぼすことを信じ、自分たちの戦いは「フロドが使命を果たすために、冥王の目を引きつける囮になること」と決断。
指揮官として、生き残ったゴンドール・ローハン連合軍を率い、「フロドのために!」を合言葉に敵陣に挑みかかるアラゴルンの雄姿は、原作を越えた魅力があります。いや、この原作にないセリフが追加されたことで、フロドの主人公としての尊厳が保たれたわけですが(笑)。
で、この『王の帰還』では、ギムリのセリフもお気に入り。
生き残った軍の数が、まだまだ膨大な敵に対して、勝ち目がないことをボヤきながら、「さあ、とっとと行こうぜ」と不敵に言い放つ。
ここまでのギムリがやたらと愚痴りキャラとして描かれていたために、この「文句を言いつつも、やることはしっかりやるキャラ」としての印象が強まったというか。
まあ、映画だと、小説の地の文と違って、誰かがセリフの形で状況を語らないといけません。まあ、ナレーションという手もありますが、この場面はギムリの愚痴を通して、厳しい戦況を語るという手法なわけで。
それを考えると、第2部でオークの追跡時に愚痴っていたのも、追跡がいかに困難で、それでも彼らが仲間の救出のために一生懸命になっているか、セリフで伝えようとしていたと言えなくもない。この辺は、映画ならではのセリフ回しもあるのだとは思いますがね。
自分的には、第2部では不満だったけど、第3部ではそれが解消された、と思ってます。
さて、『指輪』のアラゴルンに相当するキャラが、『ホビット』では弓使いのバルドになるわけですが、俳優がルーク・エヴァンズということが確定。
『タイタンの戦い』でアポロンを演じたり、『インモータルズ』でゼウスを演じたり、ギリシャ神話の神様づいている感じですが、果たしてNOVAのお気に入りのバルドにはなるかなあ。
PS:『指輪』の追想のはずが、やはり『ホビット』の方に話が切り替わりがちでした。まあ、現在進行形だから仕方ないよね。
ともあれ、『指輪』追想は今回ここまで。