Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

続・大魔神サキ感想「早着」

 カノン最終2話を前に、一足早く決着したコミック版感想記事です。
大魔神カノン (1) (角川コミックス・エース 180-3)大魔神カノン (2) (角川コミックス・エース 180-4)
 1巻の感想記事はこちらにありますので、参考までに。
 なお、コミック版には結局、NOVAひいきのサキちゃんが登場していないので、当記事のタイトルは「詐欺」になってますな。まあ、6月の記事の続きということで、ご了承をば。


 で、細かくネタバレありで紹介していく前に、全体の感想を。
 やはりテレビ版より面白い!
 テレビ版で不満だった要素が、いろいろときれいに改変されて、NOVA好みの物語として完結しています。自分の中のカノンに対する希望や期待は、これで補完されましたよ。
 後は、最終回に納得できなくても、コミック版を「真カノン」としてフォローできるかな、と。

第伍帖「魔神誕生」

 コミック版は、1巻も合わせると、全9話。
 今回は、1話ずつ小見出しを付けてみます。
 なお、前回書かなかった1巻の各話タイトルは「1 歌姫とオンバケ」「2 約束」「3 その答えを信じて」「4 カノンの決意」となっております。
 簡単に復習すると、1話でカノンとタイヘイが出会って、2話でカノンがタイヘイを信用するようになり、3話でオンバケの正体がカノンに知られて、4話でオンバケの戦っているイパダダのことを、カノンが知るようになる。うん、展開が早いなあ。
 そして、4話のラストで、イパダダ撃退の切り札であるブジンサマの話題が出たところでつづいた、と。


 さて、このブジンサマ、石となって引き篭もるに至った経緯は、おおむねTV版同様、イパダダとの度重なる戦いの末、守っていた人間たちの心ない言葉に傷ついて……なんですけど、もう少し、補足事項がつきます。
 その地を治める領主が悪い奴で、厳しい年貢で民を苦しめるんですね。そして、「民の怨嗟の声が広がれば、またイパダダが生まれる怖れが……」と訴える家来に対して、「はっ、イパダダが出ても、ブジンサマがおるではないか。ブジンサマが人の恩から生まれた妖怪で、人を守ると言うなら、せいぜい役に立ってもらわねばな」と言い放つ始末。
 その後、結局、イパダダの襲撃から街を守りきれなかったブジンサマに対し、領主が率先して責めなじり、それに煽られた人々が追随して罵る形に。
 つまり、テレビ版では「村人みんなが悪い」のに対し、コミック版では、「悪徳領主に非がある」という時代劇風の設定になって、悪意の出所が明白な分、納得しやすい設定です。
 テレビ版の場合、「自分たちを守ってくれなかったブジンサマを責める村人の悲憤」も理解できるし、自分の村以外の世界観を持たないであろう彼らの立場で、他所で懸命に戦ってきたブジンサマの気持ちを理解してやれ、というのも理不尽なわけです。人間が愚かだというよりも、やむを得ない状況だろうなあ、と。
 それに比べて、コミック版は「悪意の主」をはっきり示すことで、「人間の非」というものが明確に形になった、と。悪徳領主は、なじられて哀しみの声を上げるブジンサマに対し、「なんという不気味な咆哮! こいつはブジンサマなどではない。魔神じゃ、大魔神じゃ!」と宣言。つまり、自分の悪をブジンサマになすりつけることで、立場を正当化したわけですね。しかも、「ブジンサマ=大魔神」というタイトル説明もばっちり。
 「オオマヒト」なんて言葉遊びよりも、よっぽど納得度高いです。
 まあ、これが旧大魔神のアラカツマだったら、「神の怒りを畏れぬ悪徳領主は、その場で成敗」されそうですが、まあ心優しいオンバケには引き篭もるしかできなかった、と。


 なお、ブジンサマを「いのりうた」で召喚する巫女の家系の末裔が、巫崎家であることも、この話で明示されます。こういう大事な設定を、テレビ版では触れようとしないんだから、全く。


 その話を聞いたカノンちゃん。心をこめて、祈り歌を歌います。
 たまたま偶然歌った祈り歌が、ブチンコとタマッコを通じて……という中途半端なテレビ版とは違いますね。テレビ版では、この時、ブジンサマの存在も、イパダダの存在も、カノンちゃんは知らない。
 コミック版では、ブジンサマの悲劇も、イパダダの脅威も知った上で、祈り歌を口ずさむわけですから、心の入り方も違うというもの。
 でも、結局、「やめろ。その歌は嫌いなんだ」とダメ出しされて、いっそう引き篭もるブジンサマ……ってのは一緒。


 ダメ出しをされたカノンは、「自分が歌に想いを乗せられていないから?」と落ち込みますが、ジュウゾウ爺さんは「いや、それなら、そもそもブジンサマに届かん。これはブジンサマの心の問題。未だに過去の事を気にされとる。歌姫に非はなかろう」とフォローします。
 そこに入ってくるのが、人間不信のオンバケ・キリノハ。テレビ版では、満を持して登場したものの、結局ただの中途半端な戦闘要員以上の存在ではなくなった彼女。コミック版では、実にいいツンデレキャラとしてカノンと対立、ドラマに絡んできます。
 キリノハさん曰く、「人間に裏切られたブジンサマが、人間の歌で、人間の為に目覚めてくれるはずがなかろう」と言い張って、タイヘイとも対立。
 そして、キリノハのもたらした情報により、イパダダが山形を目指しており、ブジンサマを依り代にしようとしている可能性が示唆されます。う〜ん、そういう話がテレビでも出ていたら、もっと緊迫感が増していたろうになあ。


 キリノハに責められて、少し悩んだカノンちゃん。
 しかし、自分にできることは、「新しい祈り歌」を作ることだと宣言。この流れも、サキに勧められた受け身なテレビ版よりも、ブジンサマの心に届くために決意したコミック版の方が動機が明確で、ナイス展開。

第六帖「願いのかたち」

 この回で、ユモンジ&カエンジ登場。
 タイヘイと一緒に山形に行くことになったカノンちゃんに同行します。テレビ版では、今のところカノンが出会っていない戦闘要員だけに、オンバケやイパダダの世界からあまり引き離されずに、物語の当事者となっているコミック版を象徴するシーン。


 イパダダから解放されたカノンの元カレ幸太郎。
 盗作疑惑と女癖の悪さが噂になって、追いつめられています。
 事態を改善するため、「女ボーカルでも入れてみるか」って思い立つのですが……ということで、コミック版の「To The Top」は幸太郎が歌っていて、サキはメンバーに加入していなかったことが判明。物語上、サキの代わりが、キリノハだったり、幸太郎だったりするわけですな。


 イパダダを追うキリノハ。
 人を襲うイパダダに単身、戦いを挑みますが、驚異的な回復能力のために攻撃が通用せず、ピンチに。そこに遭遇したタイヘイとユモンジ&カエンジの支援で、イパダダが逃走し、キリノハは窮地を免れます。
「礼は言わんぞ。あの場は私一人でもなんとでもなった」とナイスなツンデレ発言です。


 なお、コミック版のイパダダは、テレビ版とは設定が違いますな。
 テレビ版では、殺人犯が転生しており、元は一個人なのですが、
 コミック版では、人々の悪意の集合体で、しかも人は殺さずに魂だけ抜き取る。魂を取られた人は、イパダダが倒されるまで仮死状態……ということは、大量虐殺するテレビ版よりも、被害は軽微なわけです。イパダダが倒されれば、人々の魂が戻って復活できるのですから。
 それでも、イパダダに魂を抜かれた人間を直接目撃して、ショックを受けるカノン。こういうシーンが、テレビ版でも欲しかった。


 孤高を保つキリノハに話しかけようとするカノンですが、気弱で、うまく声が掛けられません。
 カノンの小心ぶりに呆れたキリノハ、「肝心の歌姫が貴様のような小娘とは……。かつての巫崎の人間の方がマシだった。ブジンサマも信頼していたようだったしな」と告げます。
 ここから、キリノハの回想譚。かつて経験した歌姫との絆と、その悲劇の物語につづいた。

第七帖「人」

 キリノハが知っていた歌姫は、「巫崎歌音(かのん)」。
 まあ、カノンの先祖というか、前世というか、顔はほぼ同じだけど、性格は気丈。ブジンサマを悪く言う悪徳領主に抗議したものの、「魔神と結託し、悪事を企てる女狐」と陥れられ、処刑を宣告されます。
 キリノハは、彼女を助けようとしますが、歌音は「私が悪者として処刑されることで、人々のやり場のない怒りや悲しみが静まって、皆が安心できるなら、良い事じゃないかって……」と言って、助けを拒みます。
 そして、キリノハに「人はとっても弱いから、過ちも犯すけど……」との想いを残して、散っていく歌音。


 その話を聞いたタイヘイは愕然とし、カノンは涙を流して謝ります。


キリノハ「バカな。何故お前が謝る?」
カノン「人間はとても弱いって……私もそう思います。だから迷って……間違えて……取り戻せなくて……いつも誰かに傷つけられて、いつも誰かを傷つけてる」


 その答えを聞いたキリノハは、カノンに、自分が助けられなかった歌姫の姿に通じるものを感じ、影から守ることを決意します。
 この経緯は、完全にコミック版オリジナルですな。カノンの先祖とか、キリノハとの関係とか、ちょっとした伝奇物語風の彩りもあって、いい感じ。


 そして、いよいよ巨大化したイパダダを迎え撃つため、オンバケたちの最終作戦会議。
 カノンは、キリノハから聞いた話も踏まえて、完成した「祈り歌・改」を胸に、決意を固めます。
 今のテレビ版が大体これぐらいまでで、残り2話を残すのみですな。
 何というか、カノンの決意の重みが、コミック版だと、まるで違います。

第八帖「甦る心」

 タイヘイたちが、イパダダを抑えている間に、カノンがブジンサマに向き合うところからスタート。
 テレビ版では、タイヘイがカノンのお付きですが、コミック版では、キリノハが影から見守る役どころ。


 ブジンサマに自分のこれまでの想いを告げるカノン。しかし……、


ブジンサマ「駄目だ。我のことがわかる等、軽々しく口にするな。我は……我を罵った人間たちに失望しただけでなく、いつの世になってもイパダダを生んでしまう……そんな人間という存在そのものに失望しているのだ。尽くすべき人に希望が見付けられぬのでは、もはやどうしようもないのだ」


 そんなブジンサマに対するカノンの説得の言葉。それは、「それでも人は前に進んでいける。そのために人を信じることが必要なんです。たとえ自分を裏切った人であっても、いつか分かってくれる。そう思えることも前に進んだって事だと思うんです。また裏切られるかもしれません。絶望するかもしれません。それでもやっぱり私は人を信じたい。ブジンサマ、人を信じる私を信じてください」


 ちなみに、このシーンと並行して、幸太郎のライブのシーンが描かれています。ライブの前に、カノンのことを気に掛ける幸太郎。改心した幸太郎は、ライブの観客の前で、「自分の過ち=カノンを裏切って、歌を盗作したこと」をぶちまけて謝罪します。
 これは、テレビ版でサキがしようと思って、できなかったこと。サキはカノンに直接謝罪しますが*1、幸太郎は目下、反省の弁一つなし。また、テレビ版では、そんな改心しない幸太郎が薬物に手を出して、警察に逮捕されるというフォローのしようのないオチでしたから、コミックとは決定的に違います。カノンの成長を描くのはいいとして、他の人物の救済が描かれないようでは、結局、「カノンさえ良ければそれでいいのか、このドラマは!」と思っちゃうわけですね。
 人の優しさとか絆とかそういうのを拾い上げるには、幸太郎みたいな悪人キャラにも、何らかのフォローをしてあげないといけない。そこをテレビ版は、取りこぼしてしまった、と考えます*2


 カノンの言葉の説得力が、悪党だった幸太郎の改心を通じて、高まる演出はお見事。また、カノンの言葉を聞きながら、物陰で顔を覆って涙を流すキリノハの描写もあいまって、ブジンサマが目覚めるお膳立てが整います。


 そして流れる祈り歌・改。

 君の声は 私の声と 違うけど
 重ねて 空に歌えば
 雨の後のお陽様
 七色橋かかる
 曇る日もあるけど
 祈り集めて
 明日の空に見える絆
 深く 強く まぶしいね

 歌の調べを受けて、ついに立ち上がるブジンサマ。

第九帖「大魔神カノン」

 イパダダとの最終決着。
 ブジンサマは、イパダダと戦いながら、カノンに「もう一度、祈り歌を歌うこと」を求めます。
 歌がブジンサマに力を与えてくれる。
 カノンは、再度歌い始め、それにタイヘイやキリノハ、他のオンバケたちが唱和します。


 そして、ブジンサマは、イパダダに対しても説教します。
「聴こえるか、イパダダよ。これが人間の歌だ。弱く……卑しく……儚く、しかし自らの心を光輝かせることのできる人間の歌だ。お前は人間の心の闇をよく知り、その身をもって感じてきた存在。なればこそ、この歌を聴いてくれ。そして、この想いを感じてくれ! お前のその闇を晴らさんが為に!」


 最後、ブジンサマは自らの体にイパダダを取り込み、封印して、浄化しようとします。再び、岩に戻っていくブジンサマ。
 人々から奪われた魂が、飛散して行き、それぞれの体に戻るのを見届けながら、ブジンサマはカノンに感謝し「また祈り歌を聴かせてくれ」と告げてから、完全に動かなくなります。


 事件が終わって、山形に残るタイヘイと別れを告げて、東京に戻るカノン。


 それから一年後、ソロ歌手として活動しているカノン。
 ファンからは「ハデさはないけど、しんみり来るところが好き」と語られており、その賛辞を耳にしながら、地道にバイトして一から出直そうとしている幸太郎の姿が印象的。
 そして、同窓会のように、山形に帰郷して、オンバケたちと再会したカノン。岩になったままのブジンサマに歌を届けながら、人の希望を信じることを告げるカノンで、幕。


 映像でも、感動できる終幕であればいいなあ。
大魔神カノン Blu-ray BOX1 初回限定版

*1:自分の罪でもないのに、彼女の歌に対する真摯な姿勢が描かれていて、良かったです。というか、土下座までする謝罪って、どちらかと言うと、大映ドラマの主人公が行いがちなんだけど。

*2:まあ、残り2話で何らかのフォローが描かれるのかもしれませんが、こういう仕掛けは、段取りとかドラマの流れとうまく組み合わせて、相乗効果を意図しないと盛り上がらないもの。取って付けたように、そういうシーンだけ挿入しても駄目なわけで。なお、テレビ版カノンは、細かい段取りは結構じっくり組み立てているのだけど、そこまで組み立てたものをムダに崩してしまったり、流れから外れたところで思い出したように語ったりしがち。最後のブジンサマ復活がそうならないことを願います。