Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

ボウケンジャー47〜48話(前編)

 「VS」は物足りない作品でしたが、幸か不幸か、いろいろあって、NOVAはボウケンジャーの最終3部作を記事書きしていなかったので、この機会に。

絶望の函

 前回のラストで、ブラック失踪。そして、この回のラストで、チーフ生死不明……という最悪な状況に至ります。悪役側では、リュウオーンとの最終決着と、ガジャの最終作戦発動という怒涛の展開ですね。


 このリュウオーンというキャラ、「単純熱血キャラ」の感が強くて、笑いの要素が足りない分、ダークシャドウや、ガジャ様に比べ、愛すべきキャラとはとても言えなかったです。当初は、名前も芸がないし、部下を切り捨てる暴君体質で、どちらかと言うと利口そうには見えないなど、あまり注目していませんでした。
 その彼の印象が大きく変わったのが、ズバーンの登場する29話「黄金の剣」。そこで、冒険者であった彼の過去が明かされ、「裏切りによって人間不信に陥り、弱い自分を超える強い力を夢見て、人間を捨てた」壮絶なキャラだと判明しました。
 そして、「野心あふれる冒険者の暗黒面を体現したキャラ」として、レッドとのライバル関係がいつしか確立。ただ、まあ、ボウケンレッドの場合、最近の戦隊では珍しく、一戦士ではなく、チームを総括するリーダーとしての要素が傑出していましたから、ライバル同士の決着にこだわる側面は見せておらず*1、ここに来て、それが急加速したような印象。
 レッドがリュウオーンとの決着にこだわり、単独行動に走った挙句、ラストでチーム崩壊の危機、という展開は、前回からの流れを受けて、非常に面白い連続作劇になったな、と。


●名台詞「夢を見るのは人間だけ。夢を見続ける限りお前は人間だ」
 人間を捨てたはずのリュウオーンが、結局、人間であったことは、彼にとって幸か不幸か。その答えは爆発の中に消えて、視聴者の想像に委ねられたと。

恐怖なる大神官(前編)

 レッドが爆発の中に消え、プレシャスも消滅してしまったらしく、残されたボウケンジャーたちのスーツも解除されてしまいます。そんな絶望状態の中で、各人が自分の冒険する理由(戦う理由ではなく)を、すなわち「心の中のプレシャス」を見出す流れ。
 そのとき、失踪していたブラックがレッドの冒険魂を受け継ぐべく復帰し、
 そしてズバーンの力で生還したレッドが姿を見せて、燃える逆転劇に流れる一話。


 常々、NOVAは「最終回よりも、それに至る一話前の方が燃える」と考えています*2。その意味で、初視聴の際は、非常に堪能させてもらいました。
 ただ、ビデオに撮って再視聴してみると……絶望時間が思ったよりも長く、その分、ドラマにも力が入っていて、重くて鬱だ。その鬱時間を乗り越えたときに、「スタートUP!」と一気に加速して、浮上する醍醐味がたまりません。

イエロー&ブラック

轟轟戦隊ボウケンジャー 戦隊アクションシリーズ2 ボウケンブラック轟轟戦隊ボウケンジャー 戦隊ヒーローシリーズ4 ボウケンイエロー
 雨の中、ガジャの追っ手に追われて、散り散りに逃亡を図る(変身不能の)ボウケンジャー
 菜月(イエロー)は行方不明だった真墨(ブラック)と再会。
 冒険者として技も心も弱い自分、そして越えるべき対象だった明石(レッド)も爆死したことも含めて、自嘲する真墨に対し、記憶を失っていた自分にとって「冒険の思い出」こそが大切だと訴える菜月。
 楽しかった思い出を純粋に語る少女の言葉は、闇に閉ざされた真墨にとっての光明だったのかもしれない。黒を照らす黄色い光がイメージできるシーン。

ブルー&シャドウ

轟轟戦隊ボウケンジャー 戦隊アクションシリーズ3 ボウケンブルー
 蒼太(ブルー)にとって、尊敬すべきレッドは「冒険者としての柱」だった。
 それを失ったことで、一気に崩壊したチーム。それは、蒼太のアイデンティティーの崩壊を意味したのかもしれない。
 そんな彼が自分を取り戻すきっかけになったのが、敵だったはずのダークシャドウ風のシズカだった。同じブルーをまとう者同士、敵でありながらも、お互いをからかう軽口をたたき合う二人は似ていたのかもしれない。
 どちらも尊敬する先輩と袂を分かつ過去があり、その中で自立を余儀なくされ、自分の生きる道を模索し……結局、「プレシャス探索の冒険」こそが自分にとって楽しい生き甲斐であることに気付いたのだろうか。
 二人はここで出会い、別れ、そして、また再会する。再び、同じ宝を奪い合う競争相手として……。


 その顛末を「蒼いフクロウ」の目だけが見ていた。

シルバー&マザー

轟轟戦隊ボウケンジャー 戦隊ヒーローシリーズ6 ボウケンシルバー
 映士(シルバー)が逃げ込んだのは、かつて父と暮らした館だった。
 そこは、仲間と冒険を始める前、映士が唯一、安らげる場所だった。父を失い、その原因となったアシュの一族を憎むようになった映士はずっと孤独だった。母はアシュ、そして自分はその血を半分受け継いでいる。憎むべきは、母であり、自分の半分の血だった。残り半分の自分、人間としての自分を支えるのが、高丘流の使命だった。
 その使命は、アシュの生き残り、転じてクエスターとなったガイとレイを倒したことで、完了した。
 母に対する憎悪も、その想いを感じ取ることで昇華された。
 彼が帰ってきた今の館には、父との思い出だけでなく、母の慈愛が感じ取れた。
 闇からの逃走で疲れ果てた映士の心には、かつては味わえなかった安らぎが広がっていた。


 しかし。
 映士の心は安らぎだけを求めていたのではなかった。それだと何かが足りないのだ。
 何が足りないか。先日、西のアシュ・オウガの罠に落ち、ただ安らぐだけの異界に閉じ込められたとき、答えは出ていた。
 彼を助け、彼が助ける「仲間」の存在だった。
 安らぎの館から、仲間と合流するために、映士は再び旅立つ。今度は、妨害する者はいなかった。ただ、我が子が「生きる世界」をつかみ取ったことを喜ばしく思う、母の眼差しと愛情を感じ取り、照れ臭そうな感謝の言葉だけを残し、映士は「冒険」に赴くのだった。

ピンク&ミストレス・ボイス

轟轟戦隊ボウケンジャー 戦隊ヒーローシリーズ5 ボウケンピンク
 サージェスの基地に戻ってきたのは、さくら(ピンク)唯一人だけだった。
 サージェスの指令は非情だった。
 プレシャス・バンクの爆破。
 敵ネガティブ・シンジケートのガジャの目的が、プレシャスの力を利用しての自己強化である以上、プレシャスを守れないなら破壊あるいは封印する。戦術的にそれが正しいことは、さくらにも分かっていた。軍事訓練を受けてきた彼女にとって、上官の命令は絶対であり、戦術的にも正しいことなら納得できるはずだった。
 それなのに、さくらの心はそれを受け入れることができなかった。
 理由は二つある。
 一つは、プレシャス・バンクの爆破により、チーフである明石暁がいなくなってしまったこと。
 もう一つは、プレシャスの力で起動するゴーゴービークルをも封印したことにより、自分たちの変身能力が失われたこと。
 その結果、ボウケンジャーは敵に抵抗する力もなく、仲間たちは散り散りになってしまったのだ。今、ここには、さくらしかいない。
 敗北。
 その言葉が、彼女の胸に突き刺さる。いつもなら、仮に負けても、冷静に敗因を分析し、再戦に備えるのが彼女のスタイルだ。しかし、今は、その分析ができない。チーフを失い、仲間を失った、その喪失感は大きい。その喪失感が、彼女の冷静な分析を妨げる。
 感情に流された彼女の分析結果は唯一つ、それはサージェス上層部の「プレシャス・バンク爆破&ゴーゴービークル封印の命令」が致命的なミスだった、ということに尽きる。
 その怒りの思いを、思わずモニターに拳で叩きつける。コミカルなCG映像で飄々と喋りながら、時に非情な命令を遠慮なく下す、「ミスター・ボイス」のモニターに。今は、モニターは機能していない。非常事態だからか、サージェス基地の電源は落ちており、予備ランプだけが点る暗い基地内で、命令する者も、責任をとる者もいない場所に、さくらは唯一人、取り残された思いでいた。
 喪失感を怒りの衝動に変えた後で、ようやく、彼女の頭脳はゆっくり回転し始めた。


 明石暁なら、こんな時、どうするだろう? 
 そういう思考が、さくらの頼るよすがとなった。
 もちろん、「プレシャス保護が最優先」のはずだ。ボウケンジャーの使命は、「敵の殲滅」ではなく、あくまで「プレシャス確保」が優先だった。もちろん、サージェス財団がプレシャスを集めるのは、その強力な力が現代社会に混乱を引き起こさないようにするためである。
 今、社会を混乱させているのは、ゴードム文明のガジャが生み出した怪物、デスペラート。軍隊なら、その殲滅を第一義に考えればいい。
 問題は、殲滅させるだけの戦力が整わないことだ。それをどうやって確保するか……いつしか、さくらの思考は「冒険者のそれ」から「軍隊のそれ」に切り替わっていた。それが一番、慣れた思考だから。
 今ある戦力は、自分一人。変身できない以上、武器の確保は最優先だ。基地内を探せば、使える物が見つかるかもしれない。ただ今は……疲れきったさくらの思考は、光明を見出そうとあがきながら、いつしか静かな闇に落ちていった……。

後書きみたいなもの

 何だか、書いているうちに、思いがけなく「SSめいたもの」になってしまいました。特に、「さくら姉さん」の部分が長くなってしまったので、つづきは明日に書くことにします(もっと短くまとめるのも、何だかもったいないので)。
 ボウケンジャーの最終決戦(に至る過程)を思い出し、自分の頭の中で美化しながら、書いてみよう、と。昔から、映画やドラマのワンシーンだけ、抜き出して、文章で再現するのが好きだったから。


 では、今夜はこれぐらいにして。

*1:「戦士としての対決」にこだわればこだわるほど、「チームリーダーとしての役割」がおろそかになり、その両立は意外と難しい。

*2:逆に最終回は「当たり外れが大きい」と。