第1部終了に向けて
NOVA「前回で魔法陣ミッションのクライマックス戦闘が終わったので、今回で第1部が終わるはず。まあ、帰り道で迷わなければの話だが」
晶華「結局、たった1つのミッションで終わってしまったわね」
NOVA「その間に、地水火風4つの大妖精に出会ったりしたんだから、密度は濃かったと思うんだがな。妖精郷の各地を旅して回って、現状をあれこれ理解する流れだったし」
翔花「思ってたよりも、魔神の出現が多かった感じ」
NOVA「ソード・ワールドでは珍しく、蛮族の出現が少ないシナリオだよな。前作のミストキャッスルや続編のミストグレイヴが蛮族だらけのシナリオだったのに対し、こちらは前半が動物系で、後半が魔神系の敵が多いシナリオだと思う」
009『別ブログの「魔神ハンター」が、タイトルに反して魔神があまり出ないストーリーになってるみたいだな』
NOVA「作者としては『魔神の巣食う地下100階の魔窟』というシナリオの宣伝文句で、蛮族社会の地下で魔神退治にもスポットが当たる……的なプレイ前イメージを抱いていたんだな。だけど、実際は『魔神が魔窟にしか出ない』ので、こっちのシナリオの方が魔神退治ものに相応しい展開になってしまっているわけで」
ケイP『妖精郷を脅かすのが、過去の魔女の影と、吸血鬼と、魔神の3つで、そこに魔力の枯渇で世界崩壊の危機が……ってシナリオ背景だッピね』
NOVA「世界崩壊の危機って、安易に言葉にしてしまうと、世界観がチャチというか小ぢんまりとしてしまって、俺はあんまり好きじゃないんだよね。90年代の世紀末に流行したフレーズで、その前は70年代の大予言ブームからの流れがあったり、その前の50年代〜60年代の核戦争やら東西冷戦の危機感から続いて、80年代に宇宙も含めた世界滅亡がSFアニメやフィクションで派手なスペクタクル映像をもって描写された。そして80年代は『世界滅亡が非常に大事なドラマチックな単語だった』のに対し、90年代になると現実の空気感がフィクションを凌駕するようになって、フィクションでは『世界崩壊(笑)』というレベルに達した」
ジョエル「世界滅亡や崩壊がギャグって、どういうことですか? 87年時代のぼくは割と本気で心配していたんですよ」
NOVA「昭和末期の頭だとそうだよな。80年代は『世界は核戦争とか隕石落下で崩壊して、人類の大半が死に絶えた中でのバイオレンスな荒野で、生き延びた数少ない人たちが危険にさらされ、サバイバルの闘争を繰り広げる物語』が語られる一方で、『アイドルの歌が世界や人の心を救う』とか『異世界から来た女の子が助けを求めたり、トラブルをもたらしたり、願望を叶えたりする』とか『三角関係チックなラブコメ』とか、そういう話が世の中を席巻していた」
009『90年代はゲームの影響が大きくて、美少女ものは三角関係に収まらず、「攻略対象の女の子が数多く登場するハーレム物への流れ」に突入していったな。アイドル関連でも、それまでは最大3人トリオまでで活躍していたユニットが、大勢のグループブランドを売りにするように「多数ある群像の中から自分の推しを見つけてプッシュするのがオタクの生き様」になって、自分の推しの魅力を語るのが嗜みとされる時代だ』
NOVA「アイドルとかラブコメの話はさておき、世界滅亡の話に戻すと、『資源の枯渇と環境破壊』が大きく取り沙汰されるのは、昭和と比べての平成の特徴だと思う。70年代の石油ショックとか公害問題に端を発する流れなんだろうが、その時に教育を受けた子どもたちが大人になって社会の中核に入って行くのが平成だったからな。今の教育が20年後から30年後の世の中の流行を生み出すのは明らかで、俺自身は職業的に教育の変化と時代の変化をつなげて考えられる立ち位置になるわけで」
晶華「80年代は環境問題に注目が当たらなくなった?」
NOVA「開発による環境破壊よりも、戦争とか放射能汚染という派手な方向に視線が向けられていたからなあ。90年代になると、冷戦終結で全面核戦争の危機が避けられた反面、湾岸戦争で改めて石油資源に注目が当たったり、大規模戦争よりもテロの恐怖に視点が移ったり、震災とかで地球環境に注目が集まる流れだ。80年代は宇宙開発が盛んで、文明の目が外側に向かいがちだったのに対し、90年代は足元を見つめ直そうとか、内向き思考になりがちになったと考える」
翔花「ゼロ年代は?」
NOVA「IT化の影響が大きくなるな。世界観というテーマでは、90年代に『世界滅亡というタームが陳腐化して、一種のギャグにさえなった』と断じるが、それはゲームの影響で『世界滅亡を企てる魔王と、それを阻止すべく頑張るプレイヤーの操作する勇者』という構図が一般化し、『ゲームの描く箱庭世界が安易に大量生産された』から、それこそゲームや関連フィクションの受け手は『世界滅亡? またかよ』って気分になる。世界滅亡というテーマが食傷されて、衝撃を与えなくなるんだな。
「そもそも、世界滅亡に切迫感を持たせるには『まず、リアリティのある世界での生活を実感させる』必要がある。つまり、滅亡の危機に瀕する前の世界を丁寧に構築して、きちんとリアリティを感じさせるレベルで感情移入させてこそ、それが崩壊するドラマを真剣に受け止められる。そういう段取りを構築せずに、いきなり世界が崩壊するよと言われても、『よく知らない人間がいきなり殺されたシーンだけ見せて、さあ、悲しめ、と言っているようなもの』で、馴染みのある愛着をもった人間の悲劇と、ポッと出の赤の他人の悲劇に同じくらい感情移入するのは難しい」
ジョエル「つまり、愛着を持たない世界が滅びると言われても、『ふ〜ん、だから何?』って受け止め方になるんですね」
NOVA「物事を真面目に受け止めてもらえるには、前段階としての愛着をどう構築するかが課題なんだな。そのために『日常シーンを描く中で愛着を構築する』ことが大事。愛着のない世界が崩壊しても感情移入できないし、いとも簡単にルーティンワーク的に壊される世界描写を繰り返すとギャグにしかならない。それが分かったから、90年代からゼロ年代は『世界滅亡と、主人公やヒロインの感情を直結させるセカイ系の手法』が流行った。世界に感情移入させるよりも、主人公やヒロインに感情移入させる方が作劇的に容易で、そして主人公やヒロインの生死や感情の起伏が世界の動向に影響を与えるとなれば、必然的に物語はダイナミックかつドラマティックになる」
晶華「主人公やヒロインが世界にとっての重要人物になるわけね」
NOVA「お前の力が世界を変えるとか、世界平和のためには彼女が犠牲にならなければならないとか、そういう設定だと話が派手になるのは間違いないけど、凄い話と面白い話が一致するとは限らないから、セカイ系にも限界が来たんだな」
続きを読む